ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
『噂の眞相』25年戦記 岡留安則著
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    BOOKOFFで目についてとりあえず買っておいたんだけど、しばらく積ん読状態にあった。ようやく読了することが出来たので感想文を書いときます。

    『噂の真相』25年戦記 (集英社新書)
    岡留 安則
    集英社
    売り上げランキング: 28,790


    そもそも若い人は『噂の眞相』という雑誌の存在を知らないだろうことを思うと時の流れを感じざるを得ないなあ。『噂の眞相』誕生のいきさつについては他ならぬ本書の第一章に詳しいのだけど、とりあえず上のリンクを読めばだいたい分かるだろうと思う。

    本書の構成は以下の通り。

    第一章『噂の眞相』揺籃篇
    第二章 タブーに向けての躍進篇
    第三章 休刊宣言騒動裏事情篇
    第四章 スキャンダリズム講義篇
    第五章『噂の眞相』
    第六章「我カク戦ヘリ」戦史・戦歴篇

    『噂の眞相』の成り立ちはどうでもいいけど、取りあえず事実を記すなら1979年に始まったスキャンダルミニコミ誌。2004年に休刊したので25年間続いた月刊誌で、知る人ぞ知る人気雑誌だった。

    創刊2年目に「皇室ポルノ事件」というのがあり、大手の広告がつかなくなる。結果として広告に頼らない雑誌経営を強いられることになるのだけど、このことが逆に広告主に気を使わずにスキャンダルをどんどん紙面化する原動力にもなる。なかなか興味深い話で、凡百の雑誌なら潰れてもおかしくないところを、岡留編集長の臨機応変な対応がひかる一件だと思う。

    横道にそれるがNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」は、雑誌『暮らしの手帳』を創刊した大橋鎭子さんと天才編集者・花森安治さんがモデルになっていて、『暮らしの手帳』は広告に頼らない雑誌経営を実践した先駆者と言える。ジャーナリズムと商業主義というものはしばしば背反する関係にあるもので、この矛盾を解決するのは難しいのである。

    ・・・

    第二章ではいかにタブーに切り込んでいったかの具体例が述べられていて、えせ同和団体、極真団体スキャンダル、ハウス食品脅迫事件などが挙げられている。「うわしん」の基本姿勢としては反権威、反権力ということになるけど、権力には既存のマスコミも含まれているようである。このへんも岡留氏の非凡な点の一つだろう。

    ロス疑惑で日本中が三浦和義氏を疑っていたとき、公人でもない一般市民に対する報道合戦は行きすぎであるとの見地から、他のマスコミの報道を検証していたそうである。このころはまだうわしんを購読していなかったので検証の具体例の記憶はないが、週刊文春が火をつけたロス疑惑のマスコミ大騒動はやはり異常であったというべきだろう。

    他の雑誌がタブーとしていて取り上げられない話題の一つに作家のスキャンダルがある。ことにベストセラー作家は雑誌社の経営を左右するくらいの影響力があるので、一種の聖域として文壇はスキャンダルフリーだったのだ。

    この点に切り込んだのが噂の眞相であり、私が購読するようになったのも作家のスキャンダルが載っているからであった。いまでも印象に残っているのは吉本ばななの一件。雑誌編集者との色恋沙汰だったと記憶するが、うわしんの読者投稿欄に吉本ばななが直接投稿し、編集者氏とはキスはしたけどやってないとか赤裸々というか、俗な文章でそのまま書いていて笑ったものである。小説を書くときの文体とのあまりの違いに驚いた。

    ・・・

    私が購読していた頃に実際にあった騒動として思い出されるのは、筒井康隆断筆騒動、小林よしのりとの一連のケンカ、宅八郎の狼藉、本多勝一のキチガイぶりなどである。私は作家ではないから筒井さんの断筆宣言はひややかに眺めていたし、小林よしのり&宅八郎などは失礼ながら小者なのでどうでもよかった。

    もっとも興味深く眺めていたのは本多勝一の件で、もとをただせばリクルートコスモス社のあごあしつきでスキー旅行したという大したことのない出来事だったにもかかわらず、本多勝一がトチ狂って大騒ぎし始めた一連の騒動である。

    当時はまだ本多勝一といえばカリスマ的なジャーナリストだとの認識が言論界や読者にあり信望者が多かったのだけど、私は個人的にこいつは山師だと睨んでいたので、本多勝一が頼まれもしないのに自ら墓穴を掘り、そこに飛び込んだあげくに墓穴から馬脚だけはみ出しているが如き暴れ方をしていて大いに溜飲を下げたものである。

    本多勝一は一流の扇動家で、正義の高みから他人を批判するときはその能力をいかんなく発揮していたのだが、自分に対してはほんの小さな批判すら許さぬという独裁者的な資質を持つ人物である。かつてから私は苦々しく思っていたので大喜びした。思えばこの頃すでに私はサヨクが嫌いだったんだな。

    ・・・

    ということで、岡留氏と噂の眞相にたいしては好意的なわたしだけど、反権力を気取る噂の眞相という雑誌が無謬だという訳にはいかない。他の雑誌が取り上げられないタブーに切り込む姿勢は面白かったし、それを現実の雑誌経営として成功させた岡留氏の手腕は見事だったけれども、雑誌経営のために面白おかしくスキャンダルを取り上げた記事も多かっただろう。

    小林よしのり氏がアシスタントと不倫していようが別にどうでもいいだろうに、ギャグ漫画家としてなら見過ごしてやったが言論に口を出すなら黙ってはいられないとばかりに記事にしたのは(小林よしのりが気に入らなかっただけだろう)、思い上がりというものである。小林よしのりは噂の眞相のことを「奇形左翼」として反論していたが、なかなか上手い言い方である。

    岡留氏は黒字のまま噂の眞相を休刊にすると宣伝していて、それは事実なのだろうけど、大きな視点から言えばネットの普及が噂の眞相のような形態の雑誌に止めを刺したというべきである。他の雑誌が書けないから噂の眞相の独壇場だったゴシップやスキャンダルがどんどんネット上にリークされるようになってしまった。

    昔なら一般人が知りようもなかった文壇裏話が、他ならぬ作家のWEB日記やブログに書かれてしまう時代になったのだ。噂の眞相が又聞きで月に一回紙面化する前に、渦中の人物がどんどん自分で書くのだから誰でもそっちを読んでしまう。時代の変化をいち早く感じとり手じまいした岡留氏のアンテナの高さはここでも褒められるべきではあるが、いずれにしろ雑誌にも寿命というものがある。

    長く続けばいいとは限らないのだから、黒字のまま消えるというも岡留氏の一種の美学なのだろう。岡留氏の決断を私は支持する。

    ・・・

    以下は余談であるが、wikipediaの「噂の眞相」頁を読んでみたら、

    『現在はこの雑誌のスタッフが執筆する事実上の後継誌「リテラ」がweb上で展開されている。』

    との一文が目に留まった。岡留氏が直接かかわっているかは不明だが、なるほどリテラがうわしんの後継誌なのかと感じ入った。「奇形左翼」の名に恥じない偏向ぶりが微笑ましいあのリテラである。

    昔のスキャンダル雑誌の雰囲気を出すためにあえてざら紙のまま発行していた噂の眞相も、デジタルなネットというメディアに変換されると、夾雑物が洗い流されその本質だけが残るのだろうと感慨に堪えない。
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    『ゼロの迎撃』安生正著
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      著者のデビュー作『生存者ゼロ』をたまたま読んだらば(「権力闘争:大トラのトラ退治」)面白かったので次作である本書も読むことにした。タイトルに「ゼロ」がつくのは、デビュー作が発表された当時バカ売れしていた『永遠の0』と関係あるのだろうか?

      ゼロの迎撃 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
      安生 正
      宝島社 (2015-03-05)
      売り上げランキング: 73,540


      まずは裏表紙にあるあらすじを全文引用します。

      『活発化した梅雨前線の影響で大雨が続く東京を、謎のテロ組織が襲った。自衛隊統合情報部所属の情報官・真下は、テロ組織を率いる人物の居場所を突き止めるべく奔走する。敵の目的もわからず明確な他国の侵略とも断定できない状態では、自衛隊の治安出動はできない。政府が大混乱に陥る中で首相がついに決断を下す──。敵が狙う東京都市機能の弱点とは!? 日本を守るための死闘が始まった』

      本書は一種のシミュレーション小説といってよいと思う。読みだせばすぐに分かることだから書いてしまえば、東京で大暴れする謎のテロ組織というのは北朝鮮人民解放軍の特殊部隊。北朝鮮が日本に特殊部隊を送り込み東京壊滅を狙うというアウトラインそのものは荒唐無稽だけど、そこはシミュレーション小説だからいいのである。圧倒的なディテールで実際に起こりそうだと思わせてしまえばよいのだ。

      主人公の真下俊彦は防衛大首席卒業のエリート情報官。一方の敵は北朝鮮で卓越した軍人として尊敬されているハン・ヨンソル大佐。この二人が知力を競う話かなと思うとそうでもない。特に主人公の真下は最初からそんなに鋭い人物としては描写されていないように思う。真下が如何に頭脳明晰なのかが端的に分かるような何か──自衛隊内でも伝説になっているあの事件、みたいなエピソードが挿入されていたほうがよかったと思う。

      主人公真下を超人的な人物としては描かず、優秀だけども手術を控えた入院中の妻を気遣う生身の人間として描写することで物語全体のリアリティを高めようとしたのかもしれない。

      ハン大佐がどのような手段で東京壊滅を狙っているのかについては書けないのだけど、この小説での読みどころはやはりディテールに尽きるのだろう。実際、ストレートに書けばここまで分厚い小説にはならなかっただろうけど、自衛隊が国家的な危機に際してどのような手続きで対応するのか、或いは東京の都市機能など、非情に克明に調べ上げて書かれている。

      小説内の描写がすべて正しいとすると、日本で自衛隊を防衛出動させるのは非常に難しいことらしい。逆に他の先進国──例えばアメリカが湾岸戦争を起こした時など、政府内でどのような議論が交わされ、どのような手続きが行われたのかが気になる。

      ・・・

      全体として手放しで褒めるような感想文にはならなかったけど、この小説が面白かったのは事実である。時あたかも集団的自衛権や安保関連法案がとりざたされ、参議院選挙で国民の判断が示されようとしている昨今、非情に今日的なテーマを含む意欲作だと思われる。

      解説も含めて500頁とかなりのボリュームがある本書であるが、半日潰して読む価値は十分にあるとお勧めしておこう。
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      『触れもせで』久世光彦著
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        いつものようにだらだらテレビを見ていたら、NHKで「トットてれび」というドラマが始まった。主人公はテレビ創成期から活躍していた黒柳徹子さんらしい。何しろ番組のタイトルが「トットてれび」なのである。

        黒柳さんが番組スタッフとよく行くらしい中華料理店で一人原稿を書く女性がいる。ひょっとしたらと思ったら、すぐに字幕スーパーで若かりし頃の向田邦子であることが明かされる。黒柳さんとどんな関係なのだろう。向田さんがテレビやラジオの脚本を書いていたのは知っていたから、そういうつながりで知り合ったのだろうな。漠然とそんなことを想いながら眺めていた。

        偶然ではあるけどれど、ちょうどその頃読んでいたのが本書だった。『触れもせで』という思わせぶりなタイトルで、副題は──向田邦子との二十年──である。

        触れもせで―向田邦子との二十年 (講談社文庫)
        久世 光彦
        講談社
        売り上げランキング: 251,412


        著者はドラマのTBSと呼ばれていた時代を支えていたプロデューサのひとり久世光彦氏。久世氏が手掛けた代表的ドラマには『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』があり、いずれも脚本は向田邦子さんだった。久世氏によれば向田さんとの仕事上の交友は20年に及んだそうだけど、御存じの通り突然の飛行機事故により向田さんは逝ってしまった。

        本書は向田さんとの思い出に関する短いエッセイが集められている。発売は1992年であるから、ほぼ没後10年。その間にこつこつ書き溜めたのか、それとも本にするために一気に書き上げたエッセイの集まりなのかはよく分からない。

        試みに目次を数えてみると二十五ものエッセイがある。エッセイのタイトルを列挙すれば、

        遅刻/財布の紐/漱石/名前の匂い/爪/昔の大将/春が来た/私立向田図書館/ゆうべの残り/おしゃれ泥棒/三蹟/触れもせで/青空、ひとりきり/弟子/雁の別れ/アンチョコ/ミス・メモリー/小説が怖い/上手い/恭々しき娼婦/お母さんの八艘飛び/三変わり観音/死後の恋

        以上で二十四。最後のエッセイのタイトルは「向田邦子熱 ──あとがきに代えて──」であるから、おそらくいろいろなところに書いたエッセイから向田さんについて書いてあるものを二十四集め、最後に本にするために向田邦子熱を書いたのだろうと思う。

        向田邦子さんはエッセイの名人として知られていたけれど、本書を読めば久世さんもまた文章の上手い人であることが分かる。向田邦子さんと親しかったひとはたくさんいたろうけれど、愛情をこめ、しかも見事な文章で彼女のひととなりを書ける人物といえば久世さんをおいて他にいないとさえ思う。

        本来ならばエッセイの内容についても紹介したほうがいいのだろうけれど、なぜだかあまり気が進まない。しょうがないからひとつだけ紹介すれば、本書のタイトルにもなっている「触れもせで」について。

        二十年ものつきあいがあったのに、向田さんの体に触れたことが一度もないと不思議がっている。普通なら一度や二度、なにかの偶然に指先が触れてしまうことくらいありそうなものなのに、そういう記憶がまったくない。いったい何故なんだろうか。というような内容である。

        恐らく久世さんは与謝野晶子の「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」が念頭にありこんなタイトルにしたのだろう。してみると──ひょっとすると向田さんは意気地のない自分のことを内心責めていたのではないか──そんな忸怩たる思いが久世さんにはあったのかもしれない。

        お互いが意識しすぎていたのだろう。ふたりの間ではたわいのない話ばかりで、生臭い話になりそうなときは阿吽の呼吸で避け合ってきたのだと私は思う。男女の間に友情はなりたつや否や、などという話に興味はないけれど、あやういバランスながら、この二人の男女には友情に似たものが成り立っていたのである。

        久世さんは以下のようにこのエッセイ「触れもせで」を〆くくっている。

         もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人がいたら、その人を大切にしなさい。

        ・・・

        文庫本の解説は黒柳徹子さんで、冒頭の「トットてれび」の話とつながり見事この感想文は終わるはずだったのだけど、書いているうちに疲れてしまったのでここまでにしておく。気になる方はご自分で読んでみるとよい。トットちゃんこと黒柳さんの文章は一種独特で、これはこれで味わい深いのである。
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        明日に向って撃て!
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          さて、今日の日曜イベントアワーは何をやるのかなと番組表を確かめたらば、なんと『明日に向って撃て!』をやるではないか。言わずと知れたアメリカン・ニューシネマの傑作の一つである。

          明日に向って撃て! (2枚組) [DVD]
          20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2016-01-20)
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          『西部で名を馳せた荒くれ者ブッチとサンダンスは列車強盗を繰り返し、鉄道会社はついに、最強の刺客ピンカートン社を雇う。はじめはなんとか逃げ切ることに成功する二人だったが、刺客たちは追撃をやめることはなく、ひたすら彼らへ猛追してくる。二人は巨大な滝まで追いつめられ、逃げ場を失ってしまう。ブッチは一か八かで滝つぼに飛び込もうとサンダンスに提案するが、サンダンスは泳ぐことができなかったのだ。大笑いをする二人だったが、ついに意を決して飛び込み命からがら逃げのびたが。。。』

          ということで、上のあらすじまででちょうど半分くらいなんだけど、ここまででも十分に面白い。傑作の予感でワクワクしながら後半を見続けることになる。何しろ主演の二人、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの演技が素晴らしいのだ。

          ポール・ニューマン(ブッチ)は例のチャーミングな笑顔で人好きのする詐欺師タイプ、ロバート・レッドフォード(サンダンス)はニヒルなガンマン役である。

          川に飛び込み命からがら追っ手から逃げ切った二人が、サンダンスの恋人エッタを加えた三人で南米ボリビアへ赴くところからが後半である。ボリビアでも銀行強盗を繰り返す3人組は地元警察に追われるようになり、最後の銃撃戦の場面で映画は終わる。

          ・・・

          この映画はある程度は史実にもとづいていて、最後の銃撃戦は1911年の出来事である。ブッチ、サンダンス、エッタの三人は古き良き西部の自由な空気を体現した存在であるように思われる。しかし、強引に汽車や銀行を襲うという古めかしい犯罪の時代は終わりを告げ、アメリカ大陸も近代の幕開けを迎えていた。

          警官隊に囲まれた二人がそれぞれ二丁拳銃に弾を込め、スローモーションで飛び出すというきわめて印象的なラストシーンは、古き良き時代の終わりを暗示しているようでもある。

          いずれにしろ、この映画が傑作であることは明らかなので、まだ見たことのない人には是非ともお勧めしたい一作である。Fin.
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          『エイリアン3』フィンチャー監督
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            午後2時からは日曜イベントアワー『エイリアン3』鑑賞。シガニー・ウィーバーが坊主にしたことが話題になった記憶がぼんやりとあるけど、この映画自体をきちんと観るのははじめてかもしれない。

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            『 「エイリアン2」のラストで地球への帰途に着いたスラコ号の船内に実はエイリアンが隠れていた、というのが発端となるシリーズ第3弾。
             アチェロンから離脱したスラコ号は突発事故に見舞われ、リプリーたちは救命艇で惑星フィオリーナ161へ不時着。ひとり生き残り労働矯正施設に収容されたリプリーは、その星が過酷な環境にある監獄星である事を知った。事故の原因を究明しようとするリプリー。実は救命艇内部にはエイリアンが潜んでおり、囚人の飼い犬の体を借りて新たな姿へと成長していたのだ。逃げ場もなく、武器すらない状況下でエイリアンとリプリーの最後の死闘が始まろうとしていた……。』

            SFサスペンスの古典というべき「エイリアン」シリーズ第1作が1979年。第2作が1986年。そして本作が1992年か。本作が24年前だなんて信じられないけど、そんなことばかり言っていては話が進まない。まず、本作の宣伝文句は下のようなものだったようだ。

            「1979年、人類はエイリアンと遭遇。1986年、それは永遠に去った。1992年、今度は人類が危ない。あいつが戻って来た。」

            フィンチャー監督のデビューが本作だとは知らなかったけど、映像のはしばしに思い入れは感じられる。エイリアンの視点によるカメラワークはスピード感と臨場感があってよかったかな。

            ただ、ストーリーが単純すぎることと、登場人物の描写に深みがないのが惜しまれる。最大の欠点は、エイリアンと囚人たちの追いかけっこに緊迫感がないこと。しかも、ラストのオチが『ターミネーター2』と同じだというのも。。。

            ・・・

            フィンチャー監督は映像にこだわるひとだから、この映画も劇場の大スクリーンで観ないと公平な評価はできない作品なんだろう。もうひとつ付け加えるなら、エイリアンの造形や舞台設定に関する事前の知識がぼんやりとでもあるから、どうしてもインパクトが半減してしまう。もし劇場公開時に大スクリーンで観ていたなら、それなりの傑作だと感じたかもしれない。

            フィンチャー監督の映画なら『セブン』『ファイトクラブ』『ドラゴン・タトゥーの女』を映画館で観たけど、どれも面白かったからね。

            ──ということで、ちょっと個人的にも残念な感想となってしまった。
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