2010.04.30 Friday
狂ほへる酒に夢みる情緒と
さて、今日で4月も終り、昨日からゴールデンウイークが始まってるんですね。どうしよう。今年も1/3が過ぎ去ったことになる。年をとると時間の流れが速くなるというけれど、ほんと早い。このまま加速していくと、しまいには光速に近づき永遠の命を得られるのかもしれない(嘘)。
備蓄米は確保してあるから死にはしないけど、生きるためには煙草とお酒とインターネットが必要である。それでも足りなければ、まだ読んでない小説やDVDがけっこう溜まっているから暇つぶしも出来る。なんとも冴えないゴールデンウイークだけど、お金がないんだからしょうがない。
・・・
お金が入るとつい大喜びで散財するひとはピンちゃん以外にもたくさんいるだろうと思うけど、有名どころでは石川啄木が思い起こされる。啄木はとにかく不平不満が多いひとで、自分の不遇を嘆くのだけど、勤めていた朝日新聞から前借りしたり、親友の金田一京助にお金を無心することに成功すると、すぐに浅草に通い一晩で使ったりすることを繰り返した。もちろん娼妓を買っていたのである。他ならぬ自分の日記に書いてあるので事実だろうと思う。
後年、金田一京助の子息──春彦氏が「わらっていいとも」だったと思うけど、何かの折に啄木の話題が出たとき、あの人(啄木)はずるいんですよ、とテレビの生放送にもかかわらず発言していたことを思い出す。金田一京助さんは親友として随分お金を融通したのだけど、しばしば無理をしてお金を工面していた。それを色町で散財する啄木は、金田一一家から蛇蠍の如く嫌われていた。
まあ、昔の「親友」といえば、それくらいのことをするひとが確かにいたようである。金田一京助さんは奥さんなどから相当嫌味を言われたに違いないけど、京助氏は啄木の才能を惜しんだのだろうとピンちゃんは思う。不平不満ばかり言い、親友に嘘をつきお金をせびる啄木だけど、後年に残る作品がいくつもある。
我を愛する歌
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
これはとても有名だと思うけど、自己愛に満ち溢れた出だしですね(笑)。この後、
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
──と続きますが、実はこの後もすごい長い詩なのです。興味がある方は、
○一握の砂 石川啄木
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html
をご覧あれ。
ピンちゃんが不思議でならないのは、これほどの日本語の手練れなのに、なぜローマ字論者になったのかと。明治期に国語を「ローマ字表記」にすべきとかいう運動があったらしく、啄木も賛成していたそうなんだけど、いくら西欧の知識・技術を導入していた時期とはいえ、信じられない思いでいっぱいです。勿論、そんな運動は受け入れられなかったわけだけど、かなりの知識人がそういうことをいっていた事実に驚いてしまう。
特に結論はないけど、金田一京助氏の援助があってこそ、石川啄木の諸作品は世に残ったに違いない。泉下の京助氏も満足しているのではないかとピンちゃんは思うのである。
備蓄米は確保してあるから死にはしないけど、生きるためには煙草とお酒とインターネットが必要である。それでも足りなければ、まだ読んでない小説やDVDがけっこう溜まっているから暇つぶしも出来る。なんとも冴えないゴールデンウイークだけど、お金がないんだからしょうがない。
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お金が入るとつい大喜びで散財するひとはピンちゃん以外にもたくさんいるだろうと思うけど、有名どころでは石川啄木が思い起こされる。啄木はとにかく不平不満が多いひとで、自分の不遇を嘆くのだけど、勤めていた朝日新聞から前借りしたり、親友の金田一京助にお金を無心することに成功すると、すぐに浅草に通い一晩で使ったりすることを繰り返した。もちろん娼妓を買っていたのである。他ならぬ自分の日記に書いてあるので事実だろうと思う。
後年、金田一京助の子息──春彦氏が「わらっていいとも」だったと思うけど、何かの折に啄木の話題が出たとき、あの人(啄木)はずるいんですよ、とテレビの生放送にもかかわらず発言していたことを思い出す。金田一京助さんは親友として随分お金を融通したのだけど、しばしば無理をしてお金を工面していた。それを色町で散財する啄木は、金田一一家から蛇蠍の如く嫌われていた。
まあ、昔の「親友」といえば、それくらいのことをするひとが確かにいたようである。金田一京助さんは奥さんなどから相当嫌味を言われたに違いないけど、京助氏は啄木の才能を惜しんだのだろうとピンちゃんは思う。不平不満ばかり言い、親友に嘘をつきお金をせびる啄木だけど、後年に残る作品がいくつもある。
我を愛する歌
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
これはとても有名だと思うけど、自己愛に満ち溢れた出だしですね(笑)。この後、
頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
──と続きますが、実はこの後もすごい長い詩なのです。興味がある方は、
○一握の砂 石川啄木
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/816_15786.html
をご覧あれ。
ピンちゃんが不思議でならないのは、これほどの日本語の手練れなのに、なぜローマ字論者になったのかと。明治期に国語を「ローマ字表記」にすべきとかいう運動があったらしく、啄木も賛成していたそうなんだけど、いくら西欧の知識・技術を導入していた時期とはいえ、信じられない思いでいっぱいです。勿論、そんな運動は受け入れられなかったわけだけど、かなりの知識人がそういうことをいっていた事実に驚いてしまう。
特に結論はないけど、金田一京助氏の援助があってこそ、石川啄木の諸作品は世に残ったに違いない。泉下の京助氏も満足しているのではないかとピンちゃんは思うのである。
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