午前7時起床。晴れ。平年くらいの寒さ。
3連休の後、某国道の脇に電柱を立てる作業の警備。いわゆる一人片交ってやつで、交通量は少ないので楽かと思ったら、意外に神経を使い疲れました。これで6700円は安いと思ったけど、しょうがない。楽で1万円稼げる現場もあれば、疲れるのに3千円という現場もあるのです。
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赤貧日記を更新しながら、テレビ朝日でMステ・スペシャルを観る。昭和と平成のベスト100×2。嗚呼、懐かしい。懐かしすぎる。物心ついてからは、既に昭和より平成を長く生きているはずなのに、やはりピンちゃんは昭和の人です。昭和天皇の崩御と共に、ピンちゃんの人生も、確実に半分は終わった気がするほどです。
引き続きテレ朝で
「タモリ倶楽部スペシャル」を観たんだけど、なるほど面白い。タモリさんが、昼の番組で自分の本質を消したのは
「笑っていいとも」の司会を始めてからでしょう。当初はどうだか知らないけれど、タモリさんが大御所になってからは、1日のギャラが200万とか。こうなれば、誰だって大人しくなるはずです。
その欲求不満は、タモリ倶楽部で解消していたんでしょうね。
「笑っていいとも」とか
「ミュージック・ステーション」しか知らない若い人は、昔弾けていた頃のタモリさんを知れば、心底驚くに違いない。ナンシー関さんの珍しい映像を見られて、ピンちゃんは満足でした。
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昔
「夜のヒットスタジオ」という人気の歌番組がありました。
「ベストテン」の黒柳徹子、久米宏ご両人もよかったけれど、
「夜ヒット」の芳村真理、井上順さんも絶妙でした。いきなり何の話だってことだけど、ギャラという話のついでなのです。
当時、
「夜ヒット」はバックバンドが生演奏していて、バンマス(というのだろうか?)のダン池田氏が、突然バンドを辞めて暴露本を書いたわけです。太宰治を引用したりして、妙にクサイ内容だったのだけど、ダン池田氏の主張するところによれば、一番収入のあった自分でも年収500万かそこらで、他のメンバーはほんと悲惨なものだったとか。沢山いましたからねえ。
そこに
「フランク・シナトラ」が出演して、その時、とんねるずも出演していた記憶があるから、それ程昔の話ではない。当時でシナトラの出演料が1晩500万だったとかなんとか、ダン池田さんは嘆いておりました。
え〜と、この話題はとくにオチはなくて、せっかく思い出したので、メモまで。それにしても、あんな暴露本を書けば、その後、芸能界ではつまはじきになったに違いないけど、ダン池田さんはお元気なんでしょうか。一時期濃ゆい芸能界暴露本ブームがあって、当時から読書家のピンちゃんは、たくさん読んだ記憶があります(笑)。
光GENJIの諸星和己君なんかは、よせばいいのに、人気絶頂の頃、女性アイドルとやりまくったとか書いていましたね。ネットが発達する少し前だったから(でしたよね?)、傷は少ないと思うのだけど。