2005.09.25 Sunday
アイルランドの魂が揺れる
バブル真っ只中の当時、ピンちゃんは修士課程の院生だったけど、飲み屋さんでバイトしていました。社長は、たぶん40歳くらい、ジュディオングに似た美人で、何件かの飲み屋と人材派遣会社をやっていて、すごいひとだったなあと思います。
で、そのグループ全体(といっても20人くらい)の慰安飲み会があって、某ナイトクラブまでいきました。ピンちゃんは25,6歳で、まだ居酒屋以外では飲んだことがない頃で、夜の虚飾の世界に興味ありまくりんぐでした。
最初に美味しいものを食べて夜の部で行ったナイトクラブは、今にして思えば、いかにも田舎の店なんだけど、何しろフィリピーナが何人もいて、ダンスショーとかがあって、ピンちゃんもドキドキしたものです。たまたま隣にフィリピーナなひとがついて、これはと思ってピンちゃんは熱心に話しかけたりしました。同じ店で相棒だったひとも、なんやかや話しかけたり。
次の店に移って同じジュディオング仲間だけど別の店の女性にいわれました。あんたら女ならなんでもいいのとか。というのも、レオタードで踊っていたフィリピーナの彼女は、股間こそたまたまがないのは明らかだったけど、顔は叶姉妹の姉をさらに男らしくした感じで、明らかに性転換したんだろうなと誰にでもわかる外見だったのですね。
フィリピーナは英語が話せるから、若き日のピンちゃんは、自分の英語がどの程度通じるか興味深々で英語で話しかけていたのだけど、なるほど遠くから会話が聞こえない人から見ると、女ならなんでもいいのか?と見えていたんだなあ。
ピンちゃんがしつこく下手な英語で話しかけるのがウザかったのか、当の性転換フィリピーナが、1分くらい、英語で怒涛のごとく何やらまくしたてたのが今でも記憶に残っています。ピンちゃん程度の実力ではわからないであろうスピードで。内容はまったくわからなかったけど、呪詛の言葉であったろうと、言葉のニュアンスでわかりました。
で、そのグループ全体(といっても20人くらい)の慰安飲み会があって、某ナイトクラブまでいきました。ピンちゃんは25,6歳で、まだ居酒屋以外では飲んだことがない頃で、夜の虚飾の世界に興味ありまくりんぐでした。
最初に美味しいものを食べて夜の部で行ったナイトクラブは、今にして思えば、いかにも田舎の店なんだけど、何しろフィリピーナが何人もいて、ダンスショーとかがあって、ピンちゃんもドキドキしたものです。たまたま隣にフィリピーナなひとがついて、これはと思ってピンちゃんは熱心に話しかけたりしました。同じ店で相棒だったひとも、なんやかや話しかけたり。
次の店に移って同じジュディオング仲間だけど別の店の女性にいわれました。あんたら女ならなんでもいいのとか。というのも、レオタードで踊っていたフィリピーナの彼女は、股間こそたまたまがないのは明らかだったけど、顔は叶姉妹の姉をさらに男らしくした感じで、明らかに性転換したんだろうなと誰にでもわかる外見だったのですね。
フィリピーナは英語が話せるから、若き日のピンちゃんは、自分の英語がどの程度通じるか興味深々で英語で話しかけていたのだけど、なるほど遠くから会話が聞こえない人から見ると、女ならなんでもいいのか?と見えていたんだなあ。
ピンちゃんがしつこく下手な英語で話しかけるのがウザかったのか、当の性転換フィリピーナが、1分くらい、英語で怒涛のごとく何やらまくしたてたのが今でも記憶に残っています。ピンちゃん程度の実力ではわからないであろうスピードで。内容はまったくわからなかったけど、呪詛の言葉であったろうと、言葉のニュアンスでわかりました。