ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
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突然井伏鱒二について
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    井伏鱒二の『黒い雨』を読んだのは高校1年の頃だった。国語の教科書に載っていて、それで興味を持ち図書室で借りたと記憶している。いまや記憶は薄れているけれど、淡々と広島付近で被曝した女性の生活、或いは運命が記述されていた。その時ははっきり分からなかったのだけど、後で原民喜の『夏の花』を読み、その違いに気がついた。

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    黒い雨』はやや煤けていはいるけれどカラー映像で、『夏の花』はセピア調のモノクロだった。どちらも題材は同じ広島の原爆投下前後である。原民喜は実際に被災した体験を書き、井伏鱒二は誰かの手記をもとにしたはずだけど、才能の違いは明らかだった。井伏が実際に被災していたらどういう小説を書いたか、私には分からない。

    私は井伏の『山椒魚』をあまり評価しないけれど、『夜ふけと梅の花』『遥拝隊長・本日休診』が好きである。井伏を私が評するとすれば、向田邦子の男版で、かつ、もっと凄い作家という時代的に倒錯した言い方になってしまう(笑)。どっちも好きな作家だけど、やはり井伏のほうが上かなと思う。これは多分時代的なもので、向田が井伏と同時代人なら、甲乙つけがたい作品を書いていたんじゃないかしら。

    ところで、『山椒魚』を評価しないからといって、寓話的なものが嫌いということではない。その証拠に『屋根の上のサワン』は好きである。文学にイデオロギーの色を塗る一時期の風潮が嫌いなだけである。左翼なひとびとが『山椒魚』に勝手な解釈をして、それは勝手であるけれど、それが気にいらないから私は勝手に嫌いになったのである。

    ・・・

    私は井伏鱒二を尊敬しているけれど、一方で困った人でもあった。大の酒好きで、晩年までその酒量は衰えなかったと言われている。それはいいとして、付き合わされる編集者が大変だったそうな。もう一作、井伏の傑作をもらえれば編集者としての評価は高まる。だから、もう無理なんじゃないかなとか思いながらも井伏宅に顔を出す。

    泰然としている井伏と将棋を指したりして、しかし作品をせっつくなんてできない。随筆のひとつでも、みたいな気持ちで夜のすし屋についていく。そこで井伏が何を飲んだのかは知らないけれど、日本酒なら一升、ウイスキーならボトル一本くらいは飲む酒豪である。しかも毎晩である。つきあわされる編集者は体がもたない。

    もうひとつ困ったことには、井伏は少しだけずるいところがある。井伏の「サヨナラダケガ人生ダ」は名訳としてつとに有名だけど、

    人 花 満 勧    
    生 発 酌 君
    足 多 不 金
    別 風 須 屈
    離 雨 辞 巵

        〜「勧酒」 于武陵

    サ 花 ド コ
    ヨ ニ ウ ノ
    ナ 嵐 ゾ 杯
    ラ ノ ナ ヲ
    ダ タ ミ 受
    ケ ト ナ ケ
    ガ エ ミ テ
    人 モ 注 ク
    生 ア ガ レ
    ダ ル シ
      ゾ テ
        オ
        ク
        レ

    コノ杯ヲ受ケテクレ
    ドウゾナミナミ注ガシテオクレ
    花ニ嵐ノタトエモアルゾ
    「サヨナラ」ダケガ人生ダ

        〜井伏鱒二『厄除け詩集

    これがちょっとずるいのである。もちろん名訳であるし、さすがは井伏と誰でも思う。しかし、前書きかなんかで、これは自宅だか誰かの蔵の中でこれこれの訳を見つけたとか紹介している。もちろん、読む人は井伏ほどの人だから韜晦して(或いは謙遜して)そう書いたんだろうと思う。読んだ人がそう思うことを知っていながら井伏は書いた。

    しかし、どうやらこの名訳は、ほんとに井伏以外の誰かが書いて、それを井伏が発見したらしい。ならそう書けよと思うのだけど、ちょっとだけずるい井伏は、誤解されることを承知で「正直に」ほんとのことを書くのである。一言説明すれば分かることは書かない。誤解させる気満々なのである(笑)。

    まあ、井伏鱒二は正真正銘すばらしい文学者であったけれど、それでもこういう事がある。あまりに見事な訳を発見し、感激した井伏は、明らかな嘘をつかない範囲で自分の訳だと誤解させたかったのであろう。太宰治の遺書の一節にあった、
    井伏さんは悪人です

    は、はからずも井伏の一面を見抜いていた。
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