ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
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御葬式あれこれ
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    高校生の頃だからもう25年以上前のことである。校門前の道の両側に全校生徒と教職員が並び、その間をけたたましいクラクションを鳴らしながら、霊柩車がゆっくりと走り去っていった。校葬とでも呼ぶのだろうか。

    棺の中に納まっていたのは私が通っていた高校の物理教師だった。何日か前から行方不明になっていて、とある湖で水死体として発見された。警察は自殺として処理したはずで、誰もが納得した。彼の奇行が目立ち出したのは1、2年前からだと聞いていた。

    突然授業中に黒板に頭を打ち付けたり、訳の分からないことをつぶやくことが多くなった。私は直接授業を受けたことはなかったが、そういう噂は早いのだ。校葬を執り行ったのは、校長先生のせめての手向けだったのだろうと今にして思う。話の面白い校長として人気があったけれど、きっと気骨もあったのだ。

    私は平凡な高校生で、先生は精神を病んでいたんだろうなと思い、それきり忘れていた。

    ・・・

    Mおっちゃんの御葬式は札幌のベルコで執り行われた。喪主は妻であるおばちゃん。拙ブログのエントリ「聖なる夜の裸電球」に出てきたふたりである。二人に子供はなく、札幌で長らくラーメン屋を営んでいた。経済的な余裕があったから、まだしも人並みの葬儀をだせたのだと思う。

    Mおっちゃんは長年の深酒が祟り、晩年は精神的にもおかしくなり入院していたから、おばちゃんもホッとしただろうと思う。おばちゃんは夫を亡くし、母は弟を亡くしたことになるのだけど、ふたりとも妙に冷静だったのが印象に残っている。それほど長くないと覚悟していたのだろう。

    学歴も人脈も何もなかったMおっちゃんが、日本の好景気の波に乗った形であったとはいえ、札幌でラーメン屋を切り盛りし、景気よく人生を過せてよかった。私が札幌に遊びに行くたびに無料でラーメンを食べさせてもらっていたあの店はもうない。

    ・・・

    Sおっちゃんは三男だった。母は女一人の長女で、その下に弟ばかり5、6人いた。人数がアバウトなのは、私が知らないくらい昔に死んだ兄弟がいたらしいのだけど、母はあまりその手の話はしないからよくわからないのである。Sおっちゃんは子供の頃怪我をして背骨が曲がってしまった。おかげで身長は140cmもなかった。

    可愛そうに思った祖母が手に職をつけさせようとしたのだろう、札幌の裁縫学校に通い、一定の技術を身につけた。私が高校生の頃までは裁縫で生計を立てていて、たまに遊びに行ったりしていたのだけど、高校を卒業してからの私は道外で17年ほど過すことになるので、その間の出来事はよく知らない。

    裁縫で生計を立てると言っても、下請けの縫い子である。それほど羽振りがいいはずもなく、或いは仕事がなくなったのか、パチンコ屋でしばらく働いていたようである。たまに帰省した時にそういう噂話を聞く程度で、ほとんど交流はなくなっていた。

    Sおっちゃんとたまに会うようになったのは、私が福岡から北海道へ戻ってからだった。本格的に不景気になり、Sおっちゃんはパチンコ屋を解雇され生活保護で暮らしていた。同類相憐れむでもないけれど、私も生活できるかどうかの瀬戸際だったから、たまに遊びに行ってしんみりお酒を飲み始め、酔うと昔話などで盛り上がっていた。

    Sおっちゃんの突然の訃報を知ったのは仕事中だった。すぐに監督さんに事情を説明し、葬儀場へ向かった。母と兄、末っ子のMおっちゃんと私だけの寂しい葬儀だった。それでも、Sおっちゃんの遺体が発見された経緯を聞き少し救われた気がした。知り合いが2、3日連絡を取れないことを不審に思い、部屋を訪れてくれ、それで発見されたそうである。

    気にしてくれる知り合いがいたんだと、胸を撫で下ろした。

    ・・・

    昨年のお盆、某工場でパトロールの仕事をしていた8月13日にK山さんは亡くなった。会社の先輩で、高校の先輩でもある。K山さんのお父さんが高校教師で、私も地理を教わったという縁があった。還暦少し前で、しばらく入院していたけれど、昨年の春先に退院して一度だけ仕事でいっしょになったことがあったから、手術が成功したとばかり思っていた。

    そういえば数年前から胃の調子が悪いらしいのは私も気づいていたけれど、本人もあまり大したことはないと思っていたようだ。だましだまし働きつづけ、いよいよ調子が悪くなってから病院で検査して、胃癌があちこちに転移して手をつけられないくらいになっていた由。春先に一度退院したのは、病院側の好意であったのか、ベッド数が足りなかったからなのか。いずれにしろ、助からないのは分かっていたようである。

    口は悪いが、心根のやさしいひとだった。

    ・・・

    会社の常務も昨年末に亡くなった。K山さんと同い年くらいである。社長の弟で、なんの仕事もしないで口だけ出すので煙たく思われていた。こうなると冷淡なもので、大した感慨はなかったけれど、実質何も仕事をしないで還暦近くまで生きられたのだから、そんなに悪い人生でもなかったんじゃないかと思う。

    会社内でもほとんど無反応だったけど、葬儀はそこそこのものだったはず。そういう人生もあるんだなと、しみじみ考えてしまう。

    ・・・

    一方で、私はどうだろう。母より先か後かで大きく違うのだろうけど、順調に母を送り出した後ならば、近しい係累は兄だけである。その他面識のある親戚は、その頃にはあちら側に逝っていておかしくない年齢の人ばかりだ。兄は悲しんでくれるだろうが、葬儀はSおっちゃんと同じく質素なものになるだろう。

    それで文句はない。別に葬儀なんてしてもらわなくてもいいくらいである。それが明日なのか10年後なのか分からないけれど、その日まで小さなことに一喜一憂しながら、適当に生きていくんでしょう。突然悲観的になって悲しんだり不安になったりしているのではないのだけど、40代も半ばになると、身の回りでの訃報が増えてくるものだから、自分が死ぬときはどんなかなと、漠然と考えたりするのです。

    JUGEMテーマ:日記・一般
    | エッセイ | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) |
    コメント
    人生の半ばも過ぎて、独り身だし、いつ逝っても良いように荷物を減らしたいと思って1,2年でしょうか。だいたい行き先も決まって、身軽になりました。もう少し減らせれば、いつ逝っても大丈夫かな。
    | えいねん | 2011/01/22 2:37 PM |
    羨ましいですね。私はいまだ過去の未練を引きずっているみたいです。
    | ピンちゃん | 2011/01/22 9:11 PM |
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