2010.12.06 Monday
エスペランティストの憂鬱
午前6時50分起床。曇り、のち小雨。
仕事で平取という町の周辺を走り回った。トリップで確認してみると180キロくらい。初めて通る抜け道などがあり、おお、こんなところに繋がっていたのかと驚いたりしていたのだけど、随分辺鄙なところにもひとは住んでるものです。辺鄙といっても、一応は舗装道路で繋がっているのだけど。
道路族とか公共事業、ばらまきなどという言葉を思い出してしまうのだけど、ピンちゃんなんて道路にばら撒かれた公共事業費の絞り粕で生活してるんだから、思いは複雑である──というのは嘘で、深刻ぶってそんなこと考えたりはしない。
何を考えていたかといえば、人というのは川沿いに集まるもんだなあ、と。沙流川が流れる平取町には二風谷という地域があるのだけど、ここはアイヌの里、アイヌの聖地とされています。聖地と言えば仰々しいけれど、実際はかなり寂しい村落です。国道237号線沿いにひっそりと佇み、寂れた建物と民家があるだけです。
近代的な二風谷ダムの偉容が、何かの冗談のようでもある。
萱野茂(かやの しげる)はこの二風谷で生まれ育ち、アイヌ語を母語として育った人です。アイヌ民族の定義を──アイヌの血を引き、アイヌ語を母語として話す人々とするなら、萱野茂さんが最後のアイヌ民族と言っていいでしょう。萱野さんがいてくれたおかげで、アイヌ語の知識が多く残されたけれど、知識は知識です。
小さい時からおばあちゃんとアイヌ語で育った萱野さんのようにはなれない。別に少数民族の権利がどうのこうの言いたい訳じゃないのだけど、アイヌ語が失われてしまったことは、返す返すも残念です。金田一京助先生と萱野茂さんみたいなコンビがあと10組いれば、或いは、あと百年はやく誰かがアイヌ語保存運動を展開していればと。幾ら書いても栓なきことですが、文字を持たない民族の悲哀を感じずにはいられません。
・・・
貫気別(ヌキベツ)という小さな町も通ったのだけど、なぜか大貫さんを思い出した。トラック運転手の大貫さんといっても分からない人でも、1億円拾ったひと言えば思い出せるでしょう。30年前の話だから、そもそも知らない人は思い出せないでしょうが。
思いがけず1億円拾ったおかげで大貫さんの人生は、はからずも大きな影響を受けたはずだけど、1億円拾ってよかったんでしょうか。30年前の1億は、現在なら3〜4億くらいかしら? いずれにしろ後ろ暗いお金だから誰も名乗り出られなかったのでしょう。
3億もの大金を落としたうっかりさんは、きっと命も落としてるんだろうなあ。
・・・
ということで(どういうこと?)、北海道の地名には○○別というのが多いのです。アイヌ語「ペッ」に「別」を当て字した訳ですが、意味は「川」です。北海道の地名はアイヌ語に当て字したものが非常に多く、生粋の道産子のピンちゃんでも読めない地名がけっこうあります。○○別という町名を見かけたら、近くに特徴的な川があると思って間違いありません。
アイヌ語地名は、その辺の地形(山や川)などの特徴をそのまま言ったものが多いのだけど、アイヌが狩猟民族だったからでしょうか。獲物を追いながら野山を駆け巡る生活で、地形を形容していた言葉が地名になったのではないかなと、なんとなく想像するのだけど。
地名というのは本来なら口から口へと長く伝わるものなので、市町村合併で古い地名が消えるのは残念なのだけど、これも時代の流れでしょうがないのかなあ。
仕事で平取という町の周辺を走り回った。トリップで確認してみると180キロくらい。初めて通る抜け道などがあり、おお、こんなところに繋がっていたのかと驚いたりしていたのだけど、随分辺鄙なところにもひとは住んでるものです。辺鄙といっても、一応は舗装道路で繋がっているのだけど。
道路族とか公共事業、ばらまきなどという言葉を思い出してしまうのだけど、ピンちゃんなんて道路にばら撒かれた公共事業費の絞り粕で生活してるんだから、思いは複雑である──というのは嘘で、深刻ぶってそんなこと考えたりはしない。
何を考えていたかといえば、人というのは川沿いに集まるもんだなあ、と。沙流川が流れる平取町には二風谷という地域があるのだけど、ここはアイヌの里、アイヌの聖地とされています。聖地と言えば仰々しいけれど、実際はかなり寂しい村落です。国道237号線沿いにひっそりと佇み、寂れた建物と民家があるだけです。
近代的な二風谷ダムの偉容が、何かの冗談のようでもある。
萱野茂(かやの しげる)はこの二風谷で生まれ育ち、アイヌ語を母語として育った人です。アイヌ民族の定義を──アイヌの血を引き、アイヌ語を母語として話す人々とするなら、萱野茂さんが最後のアイヌ民族と言っていいでしょう。萱野さんがいてくれたおかげで、アイヌ語の知識が多く残されたけれど、知識は知識です。
小さい時からおばあちゃんとアイヌ語で育った萱野さんのようにはなれない。別に少数民族の権利がどうのこうの言いたい訳じゃないのだけど、アイヌ語が失われてしまったことは、返す返すも残念です。金田一京助先生と萱野茂さんみたいなコンビがあと10組いれば、或いは、あと百年はやく誰かがアイヌ語保存運動を展開していればと。幾ら書いても栓なきことですが、文字を持たない民族の悲哀を感じずにはいられません。
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貫気別(ヌキベツ)という小さな町も通ったのだけど、なぜか大貫さんを思い出した。トラック運転手の大貫さんといっても分からない人でも、1億円拾ったひと言えば思い出せるでしょう。30年前の話だから、そもそも知らない人は思い出せないでしょうが。
思いがけず1億円拾ったおかげで大貫さんの人生は、はからずも大きな影響を受けたはずだけど、1億円拾ってよかったんでしょうか。30年前の1億は、現在なら3〜4億くらいかしら? いずれにしろ後ろ暗いお金だから誰も名乗り出られなかったのでしょう。
3億もの大金を落としたうっかりさんは、きっと命も落としてるんだろうなあ。
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ということで(どういうこと?)、北海道の地名には○○別というのが多いのです。アイヌ語「ペッ」に「別」を当て字した訳ですが、意味は「川」です。北海道の地名はアイヌ語に当て字したものが非常に多く、生粋の道産子のピンちゃんでも読めない地名がけっこうあります。○○別という町名を見かけたら、近くに特徴的な川があると思って間違いありません。
アイヌ語地名は、その辺の地形(山や川)などの特徴をそのまま言ったものが多いのだけど、アイヌが狩猟民族だったからでしょうか。獲物を追いながら野山を駆け巡る生活で、地形を形容していた言葉が地名になったのではないかなと、なんとなく想像するのだけど。
地名というのは本来なら口から口へと長く伝わるものなので、市町村合併で古い地名が消えるのは残念なのだけど、これも時代の流れでしょうがないのかなあ。
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