ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
謹賀新年 2018
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    午前11時起床。晴れ。湿度51%

    紅白歌合戦を見てからだらだらと今朝方まで起きていた。いい加減眠くなったので朝の8時頃だったかに布団にもぐり込み昼前にまた起きだしたという次第である。

    ・・・

    地球は太陽の周りを大体365日かけて一周しているから、ちょうど1年前も宇宙空間の同じ辺りに浮かんでいたのだなと思うとなかなかに感慨深い──というのは正確ではなくて、ほんとは太陽系全体が銀河系の中を移動しているから同じ辺りではないので話は複雑なのである。

    更にいえば、浮かんでいると書いたけれども実際の地球は v = 30 km/s という猛烈な速さで太陽の周りを楕円運動している。時速に換算するには3600倍すればいいのだから、時速108000 km/h である。ちょっと速すぎてイメージがつかめないけど、逆に光速は c = 3×10^5 km/s だから、光に比べれば地球の公転速度は1万分の1である。

    新年早々なんの話をしているのかわからないけど、何しろピンちゃんは物理の勉強に精を出しているから、ケプラーやニュートンが惑星の運動についていろいろ考えていたことに思いをはせているのである。夜空の星を眺めてどういう規則性があるか解明するなんて凄いよなあと感心しているのだ。

    ティコ・ブラーエ(1546〜1601年)
    ヨハネス・ケプラー(1571〜1630年)
    アイザック・ニュートン(1643〜1727年)

    ティコ・ブラーエが20年も休むことなく天体観測を続け、当時の肉眼観測では最も精密なデータを弟子のケプラーが引き継ぎ、それを解析することで現在ケプラーの法則と呼ばれている三法則にまとめ上げた。ケプラーの法則を大ざっぱに言えば、

    第一法則:太陽系というのは楕円軌道の焦点に太陽があり、その焦点を中心として水星、金星、地球、火星、木星などの惑星が楕円運動している。

    第2法則:その動き方は面積速度が一定で、つまりは太陽に近い時には速く、遠い時にはゆっくりと運動している。

    第3法則:惑星と太陽間の平均距離の3乗に公転周期の2乗が比例してる。

    当時はまだ科学的な考え方がはっきりとは確立されていなかったから、宗教的、神秘的な考えからなかなか抜け出せないでいた。地球が太陽の周りを巡っているのはいいとしても(地動説)、どういうメカニズムなのかは分かっていなかった。

    それを明らかにしたのがニュートンで、つまり地球と太陽は距離の2乗に反比例した引力で引っ張り合ってるという引力理論にまとめ上げた。しかも、ニュートン以前は天上(宇宙)と地上は別々の法則が適用されると考えられていたのを、実は全く同じ法則に支配されているということまで明らかにしてしまった。

    ケプラーの法則だって数学的にきちんと理解しようと思えばそんなに簡単でもないというのに、それを満足な観測装置もない400年前に解き明かしてしまうのだから感心せずにはいられない。この時代に活躍した物理学者は上に挙げた三人だけではないけど、17世紀のニュートン力学と18世紀の産業革命や熱学の発達で、欧州が世界の中心地になったのだなと納得してしまう。

    ピンちゃんは世界史はあまり詳しくないけど、科学史を足場に眺めてみるとこれがまた面白いのである。

    ・・・

    ところで、昨日というか深夜零時を過ぎてからだから新年になってからだけど、少しだけ日本酒を舐めてみた。一合の1/3くらいかな。偶然料理用に買った日本酒があったから、お正月だしまあいいかと思ってさ。すると少しだけ体が温まり、ちょっとアルコールがまわったような感覚があった。それ以上飲まなかったからそれでお終い。

    今日も同じように舐めてみたけど、胃も膵臓もなんともない。これくらいでは飲んだうちに入らないから当然ですね。まあ、そんな感じで特別の事は何もなく新年初日は終わったのだった。

    ・・・

    昼食
    お雑煮(切りもち2個)
    ごはん
    金の麺みそ
    ミルクコーヒー
    りんご

    夕食
    ごはん
    豚生姜焼き
    雑煮風スープ
    ミルクコーヒー

    ・・・

    体重47.5 体温36.6 血圧119-75

    12:20 ボルタレン錠25mg カロナール細粒50% 酸化マグネシウム0.67g
    12:20 タケキャブ錠20mg
    23:20 ボルタレン錠25mg カロナール細粒50% 酸化マグネシウム0.67g

    ・・・

    「不寛容な時代」大竹まことが介護タクシーの事例をあげて現代社会に苦言
    http://news.livedoor.com/article/detail/14088164/

    これ、大竹まことさんの言いたいことに反対ということじゃないのだけど、「不寛容」とも言えるし、意見をはっきり言うようになったという見方もできるんじゃないかとも思う。もともと日本人て自分を殺して周りに合わせる傾向が強かったでしょ。それが、嫌なら嫌だとはっきり言うようになった。

    内心子供の声がうるさいと思っても、昔なら近隣住民が近所にできる保育園の反対運動するなんて考えづらいことだった。それが今では若者じゃなくていい年をした大人が反対してる。この例は確かに「不寛容」だと思うけれども、単に余裕がなくなったとかイライラしてるから、という分析には違和感がある。そんなに社会全体がギスギスしてるかな?

    個人的なことを言えば、ピンちゃんは昔から何かというとすぐに「権利」を主張する人たちが嫌いだからいい傾向だとは思わない。しかし、こんな少数例から日本社会全体を云々できるはずもなく、個人主義的傾向が強まったのかもしれないと漠然と想像するだけなんだけど、イライラしてるといえばピンちゃんより年上世代のひとたちではないかなという気もしている。
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    【年頭の辞】今年こそ本気だす!
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      平成三十年一月一日というこの好き日を迎え、今年一年を如何に過ごすかなどについて覚書き程度の事ではあるが記しておきたい。

      というのも、みなさまご存知の通り昨年三月に末期の膵臓癌であることが発覚し、あとどれくらいの余命があるか不確かな状況である。幸い抗がん剤が体質に合っていたらしくかなりの効果が認められ現在の経過は良好である。

      一度はあきらめかけた命が予想外の長さになる可能性も出てきて、余生は物理の勉強をしながら過ごすことを決心した。

      ・・・

      思い起こせば1986年に理学部物理学科に入学し、紆余曲折はあったものの1995年に博士(理学)の学位をえることができた。それまでの低空飛行を想えば望外の幸福と言ってよい。そこから6年間ほど大学の助手として物理の研究教育に携われたことに至ってはほとんど奇跡に近い幸運であった。

      ただし、そこからがいけなかった。せっかく手にしたアカデミックポストをほとんど自分から捨てるようにして大学を離れ、福岡から生まれ故郷の北海道へ逃げるように舞い戻った。一度は環境系のベンチャー企業立ち上げに参加し再起を図ったものの、やはり実社会での会社勤めに馴染むことはできなかった。

      いつまでも年老いた母の厄介になっているわけにもいかず、なりふり構わず探した結果、むかし半年ほど経験があった警備員の職にありつくことができた。このときすでに40歳一歩手前の平成17年、秋も深まる頃だったと記憶している。もう後のなかった私は警備員という仕事に慣れるために必死で、楽しみは酒と映画と小説という生活を始めたのだった。

      世間的には底辺仕事の警備員であるが、やればそれなりの面白さもあり、あれよあれよという間に11年が過ぎていった。デスクワークよりは体を動かす仕事の方が性に合っていたのだろう。

      そして平成28年の2月、体に変調を感じたわたしは病院にいき、そこで慢性膵炎であることが発覚。2週間ほど入院したのち自宅療養しながら体力回復を図り、なんとか仕事にも復帰することができた。いままで触れないできたが、私は高校を卒業した18歳の頃からかなりの大酒のみで、ほぼ30年間途切れることなく鯨飲を続けてきた。従って慢性膵炎の原因は多量飲酒であったと思われる。

      自分でも驚くべきことに、30年も飲み続けてきた酒をぴたりとやめ、膵臓に負担をかけないよう脂質控え目な食生活を心がけ、月に1度病院に通い血液検査するという生活を1年ほど続けた。慢性膵炎はすい臓がんの危険因子であるから、内心かなり警戒していたのである。その一方で、毎月血液検査しているのだから主治医の先生にまかせておけばまずは大丈夫だろうと他人任せの面もあった。

      そして慢性膵炎から1年後、喉の異変に気づいたのである。正確には思い出せないが、平成28年の12月にはすでに兆候があったように思う。人生というものは偶然に左右される面が大きいと思うのだが、喉の調子が悪くなりはじめたころ諸処の事情が重なり警備員の仕事がきつくなり、体力的にも精神的にもハードな日々が続いた。

      幸い月に一度、通院のための休みだけは欠かさず取ることにしていた。そこで主治医のS田先生に食べ物が喉につかえると訴えたが最初のうちはあまり大事だとは判断してもらえなかった。毎月の血液検査の結果に異状はなかったのだ。私も癌だとは夢にも思っていなかったから、それ以上しつこく言うことはなかった。

      年が明け2017年。1月2月と徐々に症状は強く自覚的なものになっていった。思えばこの時にはすでに肝臓にもリンパ節にも転移していたのであろう。そして3月、CTスキャンの画像にて既に手遅れの状態で膵体部癌、多発性肝転移及び噴門部リンパ節転移が明らかになったのである。

      ・・・

      改めて文字にして書きおこすと、なぜあのときもっと注意深くなれなかったのかと後悔してしまうが、根拠なく自分は大丈夫だと心の底では思っていた。これについては今更なにをいってもはじまらない。問題はこれからのことである。

      これからといってもそれほど長い時間が残されているとは思えないので、何かしら自分で納得できることをと考えた結果が物理学への再チャレンジなのである。20代後半で理学博士の学位を取ったのだから一応のレベルには達したはずであるが、三流物理学者の末席にもぐり込んだところであえなく自滅してしまったので、研究業績と呼べるようなものは何もない。

      やや唐突ではあるが、今後の1年乃至2年ほどで何かしらの成果が残せればいいなと夢想しだした。勿論もっと短い場合も長い場合もあり得るが、それは誰にも分からないことだから今年1年をめどに考えることにする。物理と言っても範囲は広いからある程度狙いは絞らねばならない。ならば、やはり学位を取った時と同じく物性理論方面を考えるのが自然だろう。

      具体的なことに関してはこれからおいおい考えるとして、

      今年こそ本気を出すことをここに宣言する。


      平成三十年一月一日

      ピンちゃん

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