ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
母からの電話
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    母からの電話で起こされた。音沙汰ないけどどうなっているのよ、とのこと。実は、病院に行く前の日に電話して、かくかくしかじかだから病院に払うお金が足りなくなるかもしれない。ついてはお金を借りに行くと言ってあった。

    しかし、手持ちのお金で足りたし、その日は車の運転もちょっと辛いかなという状態で、今日は行かないわと母をがっくりさせたばかりだった。こちらもいい年したおっさんであるし、そうほいほいお金を借りに行くのも気は進まない。しかもわき腹が痛くて運転も辛いという言い訳もある。

    そんなこんなで母をぬか喜びさせておいて、こちらからは連絡しないで部屋で飲んでいた。何の理由がなくても、その理由がお金の無心であっても、母は私と会うことを喜ぶ。知っていながら、こちらからは連絡しなかった。だから悪いなとは思っていた。

    「いったいどうなってるのよ?」
    「・・・」
    「どうだ、まだ痛いのか?」
    「痛いよ」
    「お前、お金あるのか?」
    「あんまりない」
    「どうするのよ」
    「・・・」
    「なあ、お前さ、今日うちに来い」
    「ああ」
    「来るのか?」
    「行くわ」
    「そうか!したらな、9時過ぎに来い。9時過ぎだぞ」
    「わかった」

    ・・・

    母からの電話は7時過ぎだった。もともと電話が来る前から目は覚めていた。それほどアルコールは残ってないだろうから大丈夫だなと思いながら寝床で横になっていると、夢とも幻覚ともつかない妄想がわいて出る。今回はほとんど映像はない。自分が主演しているラジオドラマを聴いている感じといえば、雰囲気は伝わるだろうか。

    どんなドラマかと言えば、まさしく実家へ帰る自分なのでである。実家に帰りがてら何かの仕事の続きをしないといけないのだけど、それが何なのかはっきり思い出せない。警備の仕事のようでもあり、何かのメンテナンス或いはもう少し手の込んだ施工のようでもある。もちろん施工なんてできるはずがないから妄想なのである。

    こういう状況の夢だった訳ではない。寝床に横になって目はつむっているけれども意識はある。かなり朦朧とした意識ではあるが。ときどき正気に戻り、いやいや、こんなのは前回見た夢かなんかの話だろと思う一方で、ちょっと待てよと思うのである。よく考えてみると、前にやりかけで中途半端になっていた仕事じゃなかったかな。

    アパートから会社までの経路に沿ってボイラー管のようなものはなかったかな、いや、実家に帰る途中だったか。いきつもどりつそんなことを考えながら、時々、いやそんなはずだない。何故ならそんなボイラー管など思い出せないし、あるはずがないと理性が戻ったりする。

    こんなことを行きつ戻りつ考えながら、時々携帯で時間を確認しているのである。9時過ぎに来いと言っていたから、そろそろ起きださないとまずいのじゃないかと思うと、その思いがプレッシャーになって起き上がれない。まあ、あと1時間くらいは大丈夫だろう。何も母が言った時間どおりに行く必要なんてないのだから。

    そして、あと30分、あと15分と思いながら、遂に母に電話した。

    「もしもし」
    「ああ、あのさ、午後から行ってもいいかい」
    「なしてさ」
    「・・・」
    「お前な、お母さんなんてお前の部屋に行って掃除してやろうと思っていたんだぞ」
    (やはり、そうか。そんなところだと思っていた)
    「いや、部屋はきれいだ」
    「・・・」
    「だめかい」
    「ほんとこの子はこうだもな。分かったからちゃんとこいよ」

    ・・・

    車を縁石ぎりぎりに停め、荷物を何度かに分けて部屋に運び込んだ。といっても、いつもに比べればそれほど多くない。トイレットペーパーに衣類、食料品が少々。どこからどう集めているのか不思議に思うのだが、意外に衣類は多かった。これはな、誰それさんからバザーで売れって言われて貰ったものだけどな。。。

    あれを持って行け、これを持って行けと衣類を選ぶとき、母は何度もこれなんて生地もいいしと自慢げに言っていた。それを角が立たない程度に断って、何とかスーツ一着と小さめの紙袋一つにまで減らしたのだ。

    古くていらなくなっていた奴なんてどんどん捨てろよとも母は言っていたが、母の助言に従うなら、真っ先に捨てるのは母からもらった衣類になるだろう。一人暮らしなら決して狭くはない2DKの部屋は、母からもらった衣類が収まりどころを見つけられずにいる。

    ・・・

    ほんとうは、言われたとおり9時過ぎに帰省し、母を部屋まで連れてきて見せたかった。最近大掃除した部屋を自慢したかった。

    そして、あら、お前どうしたのよ、随分きれいにしてるんでしょと褒めて欲しかった。
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    夜に吸う煙草
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       街灯が並ぶまっすぐな道を運転している。
       久しぶりに吸う煙草で感覚がしびれている。夢を見ながら運転しているようだ。

       目が醒めたのは何時だったろう。午前中に目覚めた後、ぐずぐずしてから昼過ぎに活動し始めた。自分でも理由の分からぬ衝動があり、急に部屋の掃除を始めた。しかも、徹底的に掃除をしたくなった。
       まずはトイレに手を付けた。それほど汚れていなかったのがよかった。順調にトイレ掃除が終わった余勢をかって寝室の掃除に移行した。もともと板の間にジュータンを敷いた六畳の部屋である。布団を別の部屋に移してから掃除機をかけ、ニトリで買った薄手の四畳半の絨毯が覆いきれない部分──の板の間をぞうきん掛けした。
       次は当然書斎である。普段は使っていない書庫代わりの部屋を書斎と呼んでいるのだが、ここはそれほど汚れていない。板の間の床にうっすら溜まっている埃をぞうきん掛けするのに要した時間は30分ほどだった。
       残るは居間である。7畳ほどのダイニングキッチンで、テレビとコタツがあり、ここが、私が主に過ごしている場所である。従って、最も汚れている。ここも板の間なのだが、母に貰ったかなり厚手の絨毯を敷いている。なかなか高級な絨毯らしく、私も気に入っているのだが、数か月も掃除していなかったから、チリやら髪の毛やらで汚れている。
       
      ──というような調子で、6時間ほどかけて水周りから何から、部屋全体を掃除した。非常に気分がよい。ここで、美味しいコーヒーを飲みながら一服できればどんなにいいことだろう。そう思い立ったら、いてもたってもいられなくなった。

       本棚に目を移せば、まだまだBOOKOFFに売れそうな本は幾らでもある。しかし、後で読み返したくなるかもしれない本は売りたくない。迷ったけれど、6時間もかけて部屋の大掃除をした自分になんのご褒美も与えないのはフェアではない。やはり、ここは無理をしてでもタバコを買うべきだ。と、私の中のニコチン中毒な人がしきりに言い募るのである。
       ならばしょうがあるまいと、私の中の理性の人も折れたのである。実際しょうがないのだ。
       
       本棚から見繕った本をBOOKOFFのカウンターに差し出した後、査定金額が出るまで、たまたま目についた『武士道』を立ち読みしていた。つとに有名な武士道であるが、私は読んだことがなかったのだ。なるほど、素晴らしい内容だなと感銘を受けながら読んでいると、店内放送で呼ばれた。幾ばくかの蔵書を売り、幾ばくかのお金を得た。
       帰り道にあるコンビニにより、すぐにタバコを買った。タバコを吸いながら街灯が並ぶまっすぐな道を運転している。
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      うれしはずかし初体験
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        福岡のスナックで飲んでいた。まだ常連とは言いがたい程度の店だったけれど、明日から旅行にいくんだよとかなんとか、ご機嫌であった。これは事実で、一週間の予定でカナダへ旅行するはずなのに、前の晩に飲んでいたのである。

        似たようなことは何度もあって、私は何か大きな行事などがあると、精神の奥深いどこかで極度に緊張するらしく、訳の分からない行動をとってしまう。生まれて始めての海外旅行で(10年のパスポートを取得した)、しかも明日から一週間の予定なんだから、飲みになど行かずおとなしくすぐに寝ればよいのである。

        最初は穏やかに対応してくれていた飲み屋の女の子も「私だんだん心配になってきた」と。時間は深夜零時を超え、確か3時位まで飲んでいたのだ。福岡空港の出発時間は朝の8時くらいだったはずだから、なぜこんなに遅くまで飲んでいたのか自分でも分からない。たぶん、生まれて始めての海外旅行に緊張していたのである。

        ・・・

        電話の音が鳴っている。最初はうるさいなと漠然と思っていたのだけど、だんだん意識がはっきりしてきて、自分が致命的な寝坊をしていると気がついた。あせって電話に出てみると母である。そういえば、寝坊したらまずいと思い、愚母に朝の7時頃に電話してと頼んでいたのだ。

        ああ、わかった。起きたよ、ありがとうと言って電話を切ると、すぐにまた電話が鳴った。今度は研究所の美人事務員からである。彼女もカナダ旅行の参加者で、研究所では私と彼女とふたりだけが参加者なのだ。はいすいません、寝坊しまして、今からタクシーで行きます、とかなんとか言ったような気がする。

        一応荷物は準備していたから、大急ぎで大通りまで走っていってタクシーを捕まえ、空港まで大急ぎでと頼んだ。正式名称が板付なのか福岡なのかよく分からないのだけど、とにかく福岡の空港から成田へ国内便で行って、そこからカナダへ行く手はずなのだ。団体旅行であるから、ひとりでも遅れれば大騒ぎである。

        ああやばい、これはカナダには行けないんじゃないかとタクシー内で気をもんでいたのだけど、なんとかぎりぎり間に合った。飛行機も旅行会社の添乗員も、空港職員も私のことを待っていた模様である。携帯で連絡は取れていたから待っていてくれたらしいのだけど、旅の最初から大迷惑をかけてしまった。

        ・・・

        実はこの時点では、私はその大学に就職したばかりで、親しい人は研究所の美人事務員しかいなかった。他の人々は、ほとんど他の部署の人で研究者というか先生という立場のひとは私だけだった。みなさん事務員関係だった。なぜそんな旅行に私が参加したかというと、本来40万円くらいかかる旅行費の半額を大学側が負担してくれるということだったし、海外旅行なんてしたことがなかったし、研究所の女性事務員が美人だったからである。

        朝のドタバタはなんとかなったけれど、カナダまでの道のりは遠い。飛行機でも15時間かそれ以上かかった。ヘビースモーカーのピンちゃんはいらいらしていたのだけど、飛行機内が消灯する時間帯になって、同行していた事務のおじさんが話しかけてきた。お酒、好きかい? もちろん大好きなので、飲みますよと応えたら、スチュワードにお酒を頼もうということになった。

        そこから機内大宴会である(笑)。当時の私は30代そこそこで、欧米人から見れば20歳くらいに見えたかもしれない。そんな若造が何度も何度も more please とか言って水割りのお代わりを頼みにいったもんだから、スチュワードの禿のおっさんも胡散臭げに私のことを見ていた。

        そのときに気付いたのだけど、欧米人というのは、非常にアバウトな人々であった。お酒の注ぎ方とか、水がこぼれたりしても気にしない。胡散臭げな目で私を見ながら(こんな子供がなぜ頻繁にお酒をお代わりするんだ、みたいな)、バシャバシャ注いでいる。君は知らんだろうが、私は30歳の物理学者でお酒が大好きなのだ──と、言いたいような気がしたけど、やめておいた。

        機内でみんながねている間中飲んでいたくらいだから、その後も推して知るべし。一週間の旅行中、私は大酒のみの大学職員たちと飲みまくっていたのだ。

        一応、カナダのどこを回ったか報告しておきたいのだけど、よく憶えていない(笑)。添乗員さんみたいな女性が、氷河のことを「グレイシアー」とか言っていたことと、ナイアガラの滝が意外にきたなかったこと、大橋巨泉の店でカウチンセーターを買ったことくらいしか憶えていない。たしか、バンフという土地にも一泊したと思う。

        若い添乗員の女性と話したとき、プリンスエドワード島の話題になったから『赤毛のアン』の話をしてみたら、驚いたことに読んでないとのこと。なぜ読んでないんだろうと不思議に思ったけど、世の中には『赤毛のアン』すら読まないでカナダで添乗員のバイトをしている女性も存在するのだ。

        別の日には、年配女性の添乗員と酒鬼薔薇君の話になった。遠いカナダでもある程度は話題になっていたらしい。年配の女性添乗員は「彼はとても頭のいい少年ですね」と言った。私はネットで知った彼の噂について説明しておいた。年配女性は、私の話を聞いて、ああ、そうなんだ的な反応であった。

        ・・・

        まあ、大した話ではないのだけど、その後に回った観光地などでもガイドの日本人女性と話をした。あの湖が緑色なのはプリズム効果で云々とかいうから、ああ、正確に言うとレイリー散乱というのです。これは弾性散乱で、非弾性散乱をラマン効果といいます。とかなんとか、偉そうに講釈していた。嫌な客である。初めての海外旅行で緊張していたんだと思う。

        いよいよ最後の日の朝、ホテルのレストランで添乗員さんが奮闘していた。カナダのホテルの従業員に、

        I'm helping you up!

        と言っていたのがなぜか記憶に残っている。実際、添乗員さんは一生懸命朝の給餌を手伝っていたのだけど、昨晩のお酒が残っていたようにも思えた(笑)。実際、日本へ帰る機内でも、ちょうどここが植村直己さんが行方不明になったマッキンリーですとか、機内の重量バランスを崩すようなことを平気で言っていた。同行していた事務とか学食のおばちゃんたちがいっきに片方に寄っていたし。

        というようなことで、私の生まれて初めての海外旅行は無事終了した。おお、意外と英語通じるじゃんということと、カナダではトイレのことをウオッシュ・ルームというらしいという、どうでもいい知識を身につけて帰国したのだった。
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        ぼくは21歳だった
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           その居酒屋はいつものように油の匂いと煙草の煙が充満していた。酔客の喧騒と、カウンター内で直さんが振る中華なべの油がはぜる音が心地よい。安いのと寮から近いのだけがとりえの店だから、半数以上の客が金のない寮生だ。顔見知りばかりである。壁には「止めてくれるなおっかさん背中の銀杏が泣いている」と書かれたステッカーが貼ってある。油と煙草の煙ですっかり煤け、波打っている。いったいいつから貼られているのだろう。
           二階のカウンターに腰を落ち着け、瓶ビールをちびちび手酌で飲んでいると、ようやく直さんが話しかけてくれた。
           「よお、ピン、久しぶりだな。元気だったか」
           「はあ、それなりに」
           直さんがよそよそしいのは理由がある。ぼくが数週間前に泥酔して、ある事件をおこしてしまったからだ。そのせいで出入り禁止を申し渡されていた。
           そろそろ顔を出してもいいだろうかと、恐る恐る店に足を運んだのだから、内心はぼくのほうが緊張していたと思う。酔って暴れたくらいなら次の日に頭を下げれば大した問題にはならない。そんな店である。寮生には泥酔するまで飲むタイプが多かった。

          ・・・

           「あら、ピンちゃん久しぶり。こっちに来ていっしょに飲もう」
           振り向くと、女子寮の大御所Sさんがひとりで飲んでいた。いつのまに小上がりで飲みだしたのか気づかなかったけれど、五合ポットの一人酒である。女子寮は一年か二年ででるのが暗黙の了解なのに、4年か5年居座っている豪傑である。しかも、ドテラ姿で飲んでいる。呼ばれればいくしかない。
           まずは一杯などとビールグラスに熱燗を注がれ乾杯した。
           「何緊張してるの」とSさんは笑いながら言うけれど、顔は知っていてもいっしょに飲んだことなんてない。なぜ呼ばれたのかも判らない。何だかわからないけれども、女性と飲むのは嫌いじゃないから適当な話をしていると、それなりに盛り上がった。二本目の五合ポットを飲み終える頃に、酔ったSさんが愉快そうに言った。
           「でもさあ、ピンちゃんて婆あとやったんでしょ」
           「えーっ、老人福祉の一環ですよ。気にしないで下さいよ」
           酔っていた割には上手くかえせたような気がするのだけど、ぼくが出入り禁止になったのはこの件である。実際のところ泥酔していて途中から記憶がないのだけど、後で、もうお前には呆れ果てたという風情で出入り禁止を宣言した直さんの言葉の端々から察するに、店の小部屋で婆あと言ってもいいくらいの女性となにやらよからぬことをしてしまったらしい。
           憶えてねえよばかやろう、と思ったけども、事実らしいので、恥ずかしくてしばらく店に顔を出せなかった。本気で自殺までは考えなかったけれど、生きていくのが嫌になった痛恨の事件だった。

          ・・・

           五合ポットは三本目である。女豪傑のSさんと自殺についてとか小説について話し合った。そこで、どういう成り行きで岡真史君の『ぼくは12歳―岡真史詩集』の話をだしたのか、これも全く判らない。よもや読んでるはずはないと思いながら、ぼくが衝撃を受けた詩集の話をしたかったのだろうと思う。
           そして、驚いたことにSさんは『ぼくは12歳』を読んでいた。
           どんな内容かといえば──12歳の岡真史君が飛び降り自殺をしたのだけど、なぜ自殺してしまったのかが判らない。ご両親が真史君のノートを死後読んでみた。すると、そこには早熟な12歳の悩みが、詩の形で残されていた。幼い魂は、懸命に何かを訴えかけている。あと5年10年経てば、立派な詩人になれたのかもしれない。その才能を惜しんだご両親が出版したのが『ぼくは12歳』である。

           そこから先は全く憶えていない。5合ポットは4本目に入ったのかな。女豪傑のS先輩は幸福な人生を送っているかしら。もう、20数年前の出来事である。

          ・・・

           上原美優さんの訃報に接して、何か書かずにはいられない気持ちになって、昔のことを書いてみた。
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          突然井伏鱒二について
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            井伏鱒二の『黒い雨』を読んだのは高校1年の頃だった。国語の教科書に載っていて、それで興味を持ち図書室で借りたと記憶している。いまや記憶は薄れているけれど、淡々と広島付近で被曝した女性の生活、或いは運命が記述されていた。その時ははっきり分からなかったのだけど、後で原民喜の『夏の花』を読み、その違いに気がついた。

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            黒い雨』はやや煤けていはいるけれどカラー映像で、『夏の花』はセピア調のモノクロだった。どちらも題材は同じ広島の原爆投下前後である。原民喜は実際に被災した体験を書き、井伏鱒二は誰かの手記をもとにしたはずだけど、才能の違いは明らかだった。井伏が実際に被災していたらどういう小説を書いたか、私には分からない。

            私は井伏の『山椒魚』をあまり評価しないけれど、『夜ふけと梅の花』『遥拝隊長・本日休診』が好きである。井伏を私が評するとすれば、向田邦子の男版で、かつ、もっと凄い作家という時代的に倒錯した言い方になってしまう(笑)。どっちも好きな作家だけど、やはり井伏のほうが上かなと思う。これは多分時代的なもので、向田が井伏と同時代人なら、甲乙つけがたい作品を書いていたんじゃないかしら。

            ところで、『山椒魚』を評価しないからといって、寓話的なものが嫌いということではない。その証拠に『屋根の上のサワン』は好きである。文学にイデオロギーの色を塗る一時期の風潮が嫌いなだけである。左翼なひとびとが『山椒魚』に勝手な解釈をして、それは勝手であるけれど、それが気にいらないから私は勝手に嫌いになったのである。

            ・・・

            私は井伏鱒二を尊敬しているけれど、一方で困った人でもあった。大の酒好きで、晩年までその酒量は衰えなかったと言われている。それはいいとして、付き合わされる編集者が大変だったそうな。もう一作、井伏の傑作をもらえれば編集者としての評価は高まる。だから、もう無理なんじゃないかなとか思いながらも井伏宅に顔を出す。

            泰然としている井伏と将棋を指したりして、しかし作品をせっつくなんてできない。随筆のひとつでも、みたいな気持ちで夜のすし屋についていく。そこで井伏が何を飲んだのかは知らないけれど、日本酒なら一升、ウイスキーならボトル一本くらいは飲む酒豪である。しかも毎晩である。つきあわされる編集者は体がもたない。

            もうひとつ困ったことには、井伏は少しだけずるいところがある。井伏の「サヨナラダケガ人生ダ」は名訳としてつとに有名だけど、

            人 花 満 勧    
            生 発 酌 君
            足 多 不 金
            別 風 須 屈
            離 雨 辞 巵

                〜「勧酒」 于武陵

            サ 花 ド コ
            ヨ ニ ウ ノ
            ナ 嵐 ゾ 杯
            ラ ノ ナ ヲ
            ダ タ ミ 受
            ケ ト ナ ケ
            ガ エ ミ テ
            人 モ 注 ク
            生 ア ガ レ
            ダ ル シ
              ゾ テ
                オ
                ク
                レ

            コノ杯ヲ受ケテクレ
            ドウゾナミナミ注ガシテオクレ
            花ニ嵐ノタトエモアルゾ
            「サヨナラ」ダケガ人生ダ

                〜井伏鱒二『厄除け詩集

            これがちょっとずるいのである。もちろん名訳であるし、さすがは井伏と誰でも思う。しかし、前書きかなんかで、これは自宅だか誰かの蔵の中でこれこれの訳を見つけたとか紹介している。もちろん、読む人は井伏ほどの人だから韜晦して(或いは謙遜して)そう書いたんだろうと思う。読んだ人がそう思うことを知っていながら井伏は書いた。

            しかし、どうやらこの名訳は、ほんとに井伏以外の誰かが書いて、それを井伏が発見したらしい。ならそう書けよと思うのだけど、ちょっとだけずるい井伏は、誤解されることを承知で「正直に」ほんとのことを書くのである。一言説明すれば分かることは書かない。誤解させる気満々なのである(笑)。

            まあ、井伏鱒二は正真正銘すばらしい文学者であったけれど、それでもこういう事がある。あまりに見事な訳を発見し、感激した井伏は、明らかな嘘をつかない範囲で自分の訳だと誤解させたかったのであろう。太宰治の遺書の一節にあった、
            井伏さんは悪人です

            は、はからずも井伏の一面を見抜いていた。
            | エッセイ | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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