2018.01.01 Monday
【年頭の辞】今年こそ本気だす!
平成三十年一月一日というこの好き日を迎え、今年一年を如何に過ごすかなどについて覚書き程度の事ではあるが記しておきたい。
というのも、みなさまご存知の通り昨年三月に末期の膵臓癌であることが発覚し、あとどれくらいの余命があるか不確かな状況である。幸い抗がん剤が体質に合っていたらしくかなりの効果が認められ現在の経過は良好である。
一度はあきらめかけた命が予想外の長さになる可能性も出てきて、余生は物理の勉強をしながら過ごすことを決心した。
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思い起こせば1986年に理学部物理学科に入学し、紆余曲折はあったものの1995年に博士(理学)の学位をえることができた。それまでの低空飛行を想えば望外の幸福と言ってよい。そこから6年間ほど大学の助手として物理の研究教育に携われたことに至ってはほとんど奇跡に近い幸運であった。
ただし、そこからがいけなかった。せっかく手にしたアカデミックポストをほとんど自分から捨てるようにして大学を離れ、福岡から生まれ故郷の北海道へ逃げるように舞い戻った。一度は環境系のベンチャー企業立ち上げに参加し再起を図ったものの、やはり実社会での会社勤めに馴染むことはできなかった。
いつまでも年老いた母の厄介になっているわけにもいかず、なりふり構わず探した結果、むかし半年ほど経験があった警備員の職にありつくことができた。このときすでに40歳一歩手前の平成17年、秋も深まる頃だったと記憶している。もう後のなかった私は警備員という仕事に慣れるために必死で、楽しみは酒と映画と小説という生活を始めたのだった。
世間的には底辺仕事の警備員であるが、やればそれなりの面白さもあり、あれよあれよという間に11年が過ぎていった。デスクワークよりは体を動かす仕事の方が性に合っていたのだろう。
そして平成28年の2月、体に変調を感じたわたしは病院にいき、そこで慢性膵炎であることが発覚。2週間ほど入院したのち自宅療養しながら体力回復を図り、なんとか仕事にも復帰することができた。いままで触れないできたが、私は高校を卒業した18歳の頃からかなりの大酒のみで、ほぼ30年間途切れることなく鯨飲を続けてきた。従って慢性膵炎の原因は多量飲酒であったと思われる。
自分でも驚くべきことに、30年も飲み続けてきた酒をぴたりとやめ、膵臓に負担をかけないよう脂質控え目な食生活を心がけ、月に1度病院に通い血液検査するという生活を1年ほど続けた。慢性膵炎はすい臓がんの危険因子であるから、内心かなり警戒していたのである。その一方で、毎月血液検査しているのだから主治医の先生にまかせておけばまずは大丈夫だろうと他人任せの面もあった。
そして慢性膵炎から1年後、喉の異変に気づいたのである。正確には思い出せないが、平成28年の12月にはすでに兆候があったように思う。人生というものは偶然に左右される面が大きいと思うのだが、喉の調子が悪くなりはじめたころ諸処の事情が重なり警備員の仕事がきつくなり、体力的にも精神的にもハードな日々が続いた。
幸い月に一度、通院のための休みだけは欠かさず取ることにしていた。そこで主治医のS田先生に食べ物が喉につかえると訴えたが最初のうちはあまり大事だとは判断してもらえなかった。毎月の血液検査の結果に異状はなかったのだ。私も癌だとは夢にも思っていなかったから、それ以上しつこく言うことはなかった。
年が明け2017年。1月2月と徐々に症状は強く自覚的なものになっていった。思えばこの時にはすでに肝臓にもリンパ節にも転移していたのであろう。そして3月、CTスキャンの画像にて既に手遅れの状態で膵体部癌、多発性肝転移及び噴門部リンパ節転移が明らかになったのである。
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改めて文字にして書きおこすと、なぜあのときもっと注意深くなれなかったのかと後悔してしまうが、根拠なく自分は大丈夫だと心の底では思っていた。これについては今更なにをいってもはじまらない。問題はこれからのことである。
これからといってもそれほど長い時間が残されているとは思えないので、何かしら自分で納得できることをと考えた結果が物理学への再チャレンジなのである。20代後半で理学博士の学位を取ったのだから一応のレベルには達したはずであるが、三流物理学者の末席にもぐり込んだところであえなく自滅してしまったので、研究業績と呼べるようなものは何もない。
やや唐突ではあるが、今後の1年乃至2年ほどで何かしらの成果が残せればいいなと夢想しだした。勿論もっと短い場合も長い場合もあり得るが、それは誰にも分からないことだから今年1年をめどに考えることにする。物理と言っても範囲は広いからある程度狙いは絞らねばならない。ならば、やはり学位を取った時と同じく物性理論方面を考えるのが自然だろう。
具体的なことに関してはこれからおいおい考えるとして、
今年こそ本気を出すことをここに宣言する。
平成三十年一月一日
ピンちゃん