2017.10.20 Friday
『立原道造詩集』ハルキ文庫
いつ購入したのか思い出せないけれど、奥付を見ると2003年12月18日第一刷発行とあるから、それ以降であるのは確実である。ブックオフのような古書店ではなく、どこかの書店で定価で購入したような記憶がうっすらとある。
みなさんは立原道造という詩人をご存知だろうか。私は本書を手に取るまで知らなかったと思う。装丁がきれいだったから手が伸びたのかもしれない。それすら定かではないのだけど、本書の巻末にある略年譜に拠れば、立原道造という詩人は1914年に生まれ、1939年に亡くなっている。二十四年と八か月という短い人生だった。
十六歳の時「金田久子への思慕が募り、彼女への愛をテーマとした自選詩集『水晶簾』を書く」と略年譜にあるから、この頃には創作を始めていたようだ。そして、色気づいてもいた。十六歳なら当然だろうと思うけれども、昭和五年という時代背景を考えると、やはり詩集まで出すのはかなりの積極派である。
愛の詩集を書き上げた次の年、昭和六年に道造は旧制第一高等学校の理科に入学する。今の東京大学教養学部にあたるそうだから秀才だったのだろう。昭和十二年に東京大学工学部建築学科を卒業するのだけど、その六年間に詩人として作風を確立したようである。
どのような作風かと聞かれると説明に困るけれど、読めばすぐに分かるように、太陽、空、雲、風、夜、月、星、野原、花、小鳥、などの言葉がよく出てくる。田舎の風景もよくでてくるけれども、道造がイメージしていたのは軽井沢や信州の追分などである。
こう書けばいかにも底の浅い、文学を夢見る乙女の詩のように思われてしまいそうだけど、もちろん違う。いや、違うと断言するのはまた誤解を生んでしまいそうなのだけど、抒情派の詩人であることは確かで、彼の詩はパステル画のような雰囲気を持っている。
・・・
『日曜日』より
唄
裸の小鳥と月あかり
郵便切手とうろこ雲
引出しの中にかたつむり
影の上にはふうりんさう
太陽と彼の帆前船
黒ん坊と彼の洋燈
昔の絵の中に薔薇の花
僕は ひとりで
夜が ひろがる
・・・
道造の詩を紹介するとしたらどれがいいかと迷ってしまうのだけど、上の詩は夕暮れどきから夜にかけて、道造のイメージの中にある言葉がリズミカルに並べられている。手製詩集『日曜日』にある「唄」というタイトルの詩なのだけど、もう少し明るい風景を描写した詩の方がよかったかもしれない。
道造は東京大学工学部建築学科を卒業した英才で、そちらの方面でも才能があった。東京大学在学中に三年連続で辰野賞を受賞した。どれくらい凄いことなのかはよくわからないけれど、明治から昭和初期を代表する設計者、辰野金吾博士の名前を冠した賞だから、きっとすごいに違いない。あまり関係ないけれど、東京都庁の設計で有名な丹下健三は道造のひとつ後輩であるそうな。
大学在学中に詩の作風を確立したと書いたけれど、知り合いになった文学者の先輩や友人も豪華である。列挙すれば、猪野謙二、江頭彦造、杉浦明平、寺田透、萩原朔太郎、室生犀星、堀辰夫、三好達治、神保光太郎、丸山薫、芳賀檀、保田與重郎、伊東静雄などである。
とにかく道造の詩は注目されるようになり、「中原中也とともに「四季」を代表する若き抒情詩人となった」そうである。
何しろ道造は二十四歳で急逝してしまったから、体験に乏しく思想に円熟味がない──つまり深みがないという批判はあるかもしれない。この批判は間違ってはいないと私は思う。立原道造の詩をパステル画になぞらえるとき、そこにはいくばくかの批判も含んでいるのだろう。
道造は実際にパステル画を描くことも好んだそうなのだけど、彼が言葉で紡ぎだした作品には音楽とリズムがあり、色彩に富んでいる。油絵や水墨画にはない魅力がそこにはあると思う。
・・・
夏花の歌
その一
空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る
それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
黙った僕らは 足に藻草をからませて
あの日の影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた
……小川の水のせせらぎは
けふもあの日かはらずに
風にさやさや ささやいてゐる
あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顔ばかり
・・・
この感想文を書こうと、ぱらぱら道造の詩を読み返してみたのだけど、意外に暗い内容のものが多くて、私のイメージしている道造の詩──春風そよぐ草原に横たわる薄倖の美少年がパステルで風景画を描いている──を見つけることができなかった。
まあ、しょうがない。立原道造という詩人の魅力をどれだけ伝えられたか心もとないけれど、この小文を読み興味を持ってくれたなら、そして本屋や図書館で見かけたなら、手に取ってぱらぱらと彼の詩を読んで見てください。
押しつけがましくなく、上品な彼の詩の世界がそこにあることでしょう。
みなさんは立原道造という詩人をご存知だろうか。私は本書を手に取るまで知らなかったと思う。装丁がきれいだったから手が伸びたのかもしれない。それすら定かではないのだけど、本書の巻末にある略年譜に拠れば、立原道造という詩人は1914年に生まれ、1939年に亡くなっている。二十四年と八か月という短い人生だった。
十六歳の時「金田久子への思慕が募り、彼女への愛をテーマとした自選詩集『水晶簾』を書く」と略年譜にあるから、この頃には創作を始めていたようだ。そして、色気づいてもいた。十六歳なら当然だろうと思うけれども、昭和五年という時代背景を考えると、やはり詩集まで出すのはかなりの積極派である。
愛の詩集を書き上げた次の年、昭和六年に道造は旧制第一高等学校の理科に入学する。今の東京大学教養学部にあたるそうだから秀才だったのだろう。昭和十二年に東京大学工学部建築学科を卒業するのだけど、その六年間に詩人として作風を確立したようである。
どのような作風かと聞かれると説明に困るけれど、読めばすぐに分かるように、太陽、空、雲、風、夜、月、星、野原、花、小鳥、などの言葉がよく出てくる。田舎の風景もよくでてくるけれども、道造がイメージしていたのは軽井沢や信州の追分などである。
こう書けばいかにも底の浅い、文学を夢見る乙女の詩のように思われてしまいそうだけど、もちろん違う。いや、違うと断言するのはまた誤解を生んでしまいそうなのだけど、抒情派の詩人であることは確かで、彼の詩はパステル画のような雰囲気を持っている。
・・・
『日曜日』より
唄
裸の小鳥と月あかり
郵便切手とうろこ雲
引出しの中にかたつむり
影の上にはふうりんさう
太陽と彼の帆前船
黒ん坊と彼の洋燈
昔の絵の中に薔薇の花
僕は ひとりで
夜が ひろがる
・・・
道造の詩を紹介するとしたらどれがいいかと迷ってしまうのだけど、上の詩は夕暮れどきから夜にかけて、道造のイメージの中にある言葉がリズミカルに並べられている。手製詩集『日曜日』にある「唄」というタイトルの詩なのだけど、もう少し明るい風景を描写した詩の方がよかったかもしれない。
道造は東京大学工学部建築学科を卒業した英才で、そちらの方面でも才能があった。東京大学在学中に三年連続で辰野賞を受賞した。どれくらい凄いことなのかはよくわからないけれど、明治から昭和初期を代表する設計者、辰野金吾博士の名前を冠した賞だから、きっとすごいに違いない。あまり関係ないけれど、東京都庁の設計で有名な丹下健三は道造のひとつ後輩であるそうな。
大学在学中に詩の作風を確立したと書いたけれど、知り合いになった文学者の先輩や友人も豪華である。列挙すれば、猪野謙二、江頭彦造、杉浦明平、寺田透、萩原朔太郎、室生犀星、堀辰夫、三好達治、神保光太郎、丸山薫、芳賀檀、保田與重郎、伊東静雄などである。
とにかく道造の詩は注目されるようになり、「中原中也とともに「四季」を代表する若き抒情詩人となった」そうである。
何しろ道造は二十四歳で急逝してしまったから、体験に乏しく思想に円熟味がない──つまり深みがないという批判はあるかもしれない。この批判は間違ってはいないと私は思う。立原道造の詩をパステル画になぞらえるとき、そこにはいくばくかの批判も含んでいるのだろう。
道造は実際にパステル画を描くことも好んだそうなのだけど、彼が言葉で紡ぎだした作品には音楽とリズムがあり、色彩に富んでいる。油絵や水墨画にはない魅力がそこにはあると思う。
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夏花の歌
その一
空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る
それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
黙った僕らは 足に藻草をからませて
あの日の影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた
……小川の水のせせらぎは
けふもあの日かはらずに
風にさやさや ささやいてゐる
あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顔ばかり
・・・
この感想文を書こうと、ぱらぱら道造の詩を読み返してみたのだけど、意外に暗い内容のものが多くて、私のイメージしている道造の詩──春風そよぐ草原に横たわる薄倖の美少年がパステルで風景画を描いている──を見つけることができなかった。
まあ、しょうがない。立原道造という詩人の魅力をどれだけ伝えられたか心もとないけれど、この小文を読み興味を持ってくれたなら、そして本屋や図書館で見かけたなら、手に取ってぱらぱらと彼の詩を読んで見てください。
押しつけがましくなく、上品な彼の詩の世界がそこにあることでしょう。