ピンちゃんの赤貧日記

明日は明日の風が吹く
最後の靴
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     この靴を買ったのはいつだったかな。
     考えてみても思い出せないけれど、仕事用にとオニューのこの安全靴をおろしてから何回も使ってなかったはずだ。パッと見はきれいだから間違いないだろう。
     不思議なもので、病院へ向かう後部座席でどうもおかしいなと気づくまではなんでもなかったのに、一度気づいてしまうともうだめだ。あとは車に乗るたびに気になってしまう。これはやはり靴が臭うのだろうな。
     自分でもすぐには気づかなかったくらいだから、運転手のみなさんにはばれなかっただろう。それにしても、数回しか履いてないのに、なぜ自分で気づくくらい臭うようになったのだろう。

     今日は天気が良いから絶好の靴洗い日和だなと気づいたのは午前中、期日前投票へ行く途中だった。
     冷たい風のせいで鼻をぐずつかせながら歩いているとき、急に思いついたのだ。
     もう新しい靴を買うことはないだろうけど、車での送り迎えや買い物で外出することはある。後部座席とはいえ運転手さんに気づかれないとも限らない。それよりなにより、靴がくさいというのは気分が悪いじゃないか。
     何も靴を洗うくらいで自分を鼓舞することもないのだけど、とにかく投票を済ませたら靴を洗おうと決めたのだ。決めたなら即実行。善は急げ、思い立ったが吉日というしね。

     風呂場のバケツにお湯を張り、洗剤を溶け込ませてから靴を突っ込む。おっと、抜き取った靴ひもを入れ忘れてはいけない。さほど大きな足じゃないが左右両方をいちどに突っ込むと先っぽがはみ出てしまう。踵を上にしたり互い違いにしてみてもどこかがお湯から突き出てしまう。少しくらいいいじゃないかと思うかもしれないが、何しろこれが最後の靴なんだから完璧を期したい。
     考えた末、バケツの上に洗面器を置き、そこに水を入れれば重しになると気づいた。我ながらグッドアイデアである。アメリカ人なら「It sounds good!」などと言うのかしら。

     紅鮭とほうれん草のおひたしと、具の多いお味噌汁にごはん。
     なかなか豪華な昼食のあと、お湯でうるかしておいた靴を洗い始めた。
     仕事を辞める前は靴なんて外側がよほど汚れてから──つまりは内側だって汗や埃で相当汚れてからじゃないと洗わなかったのに、なぜ今回に限ってはやくに洗う羽目になったんだろう。暇人というのはいろいろなことが気になるものなのだ。
     あれこれ考えてはみたけれど、にわかには思いつかない。
     状況を整理して考えてみるに、普段なら気になるはずがない新品に近い状態なのに、なぜか足の臭いが気になったのだ。
     つまり、、、うーん、これは仮説にすぎないが、ひょっとして鼻毛がないせいで嗅覚が鋭くなっているのではなかろうか。或いは、理由は不明だけど、突然変異で、いや、抗がん剤のせいで体質が変わって、急に足が臭くなったということもありえる。それどころか、そもそも臭いと思っているのは自分だけで、実は臭くない可能性だってある。
     三流とはいえ元物理学者の端くれなのだから、ここは科学的、論理的に考え、ひとつづつ可能性を潰していくしかあるまい。

    ──ほんとうはそんなことはどうでもいいのだ。

     靴を洗い終え、玄関先の手すりに靴ひもを引っかけると、あっという間に靴ひもが冷たくなった。10月半ばの風は冷たい。靴ひもにぶら下がっている本体は秋風にゆられ、踵の部分に水が溜まっている。何度かひっくり返して水を捨てるのだけど、すぐにしみだすように溜まってくるからきりがない。まあ、湿度も低いからすぐに乾くだろう。

     そういえば、Oヘンリーの『最後の一葉』は葉っぱが落ちる話だから、というか正確に言えば落ちない話だけど、今くらいの季節だったのかな。飲んだくれの絵描きが主人公を救うなんて、あれは小説だからなあ。そんなうまい話があったらあやかりたいよ。

     「この靴ひもが切れてしまったら、自分も死ぬ」なんて言っても誰も気にしてくれないだろうな。
     ほんとに切れたら縁起が悪いし、余計なことは言わないでおこう。

     明日の朝、玄関のドアを開けたら、靴ひもの代わりに針金でぶら下がってたりしてね。そうだといいな。
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    日常風景はこんな感じ
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       この女の子はなんという名前なのかなと思いながらノートパソコンのディスプレイを眺めていた。深夜2時近くだ。その女の子はかわいらしい顔をして付けまつ毛が印象的だ。とてもかわいらしい顔で、一心不乱にフェラチオをしている。

       テレビでは姜尚中(カン・サンジュン)先生が最愛の息子を亡くした悲しみを語っている。息子の死に向き合うために『心』という小説を執筆したとか、小説を書くきっかけになった若者との交流などが語られている。

       そういえば、お笑いコンビ「カンニング」の相方・中島忠幸の死について竹山隆範氏が語っていたな。暗くなり過ぎず、適度な笑いを取りながら、相方の死にまつわるエトセトラを語っている。相当の苦悩があったろうに、それを笑いに昇華するのが仕事なのだな。

      ・・・

       NHKでは『激流〜私を憶えていますか』というドラマをやっていて、何やら深刻な内容のようである。ネットからあらすじを転載すれば、
      貴子(国仲涼子)は、IT企業の社長・大林(カンニング竹山)と愛人契約を結ぶ。東萩(桐谷健太)は、鯖島(山本耕史)がティッシュを配っているのを見かける。圭子(田中麗奈)と美弥(ともさかりえ)は、貴子に呼ばれて家を訪ねる。貴子にまた怪メールが届いたという。大林から呼び出しの電話を受けた貴子は、急いで外出する。気になって後を付けた美弥は、貴子と大林がホテルに入るのを目撃する。

      ということらしい。私がなぜこんな時間に起きているかと言えば、前の日に早朝から飲み始め、何度か酔い潰れて深夜零時頃に目が覚めた。そしてまた飲み始めているのである。完全な廃人なんだけど、まあ、私の日常はこんなものである。

       点けっぱなしにしたテレビでは、カンニングの竹山さんが相方の死を語り、姜尚中先生は息子の死に向き合い、NHKのドラマは抜き差しならぬ状況に追い詰められた人々の日常が表現されている。私は酔いながらエロ動画を見ていた。

      ・・・

       名前は分からないけれどかわいい顔をした女の子が、なぜかAV女優になりフェラチオしている。アイドルとして売りだしてもいいくらいの容姿なのに、何があったんだろうなと余計なことを考えてしまう。

       今日も早朝から仕事だから寝ないといけないなと思いながら、こんな文章を書いている。これが私の日常風景である。
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      空がこんなに青いのだから
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         「突然かもしれないけど、いいよね?」
         彼女はそう言うけど、僕はどうしたらいいのか分からない。
         もちろん彼女は、僕と彼女の関係を清算してもいいよねと言っている。鈍感な僕だって、それくらいは分かっている。分かっているからこそ、どうしたらいいのか分からない。

         そろそろ彼女の誕生日だから、彼女が喜びそうなものをリサーチしようかなと思い始めていたというのに、突然の別れ話である。こんなのアリなの? どうしたらいいのか、分からないよ。
         僕の何が悪かったのだろう? せめて、それくらいは教えてもらう権利があるだろう。

         「だって、〇〇君、君は私のこと好きじゃなかったじゃない」

         これには腰が抜けるほど驚いたけれど、彼女がいいたいことはなんとなく分かる。けれど、僕は君のことが好きだったよと言うしかなかった。

         「違うわ、あなたは、私のことが嫌いじゃなかっただけ」

         そんな言いぐさはないだろうと思った。だって、嫌いじゃなかっただけなんて酷いよ。付き合いだして3年目だけど、僕は毎年、どうしたら君が喜ぶか想像しながらプレゼントを用意していたんだよ。大好きだよと口に出すのが恥ずかしいから、言えなかっただけじゃないか。僕が引っ込み思案だった罪で、君は僕を有罪だというのかい。

         「そんなことないよ。僕は君のことが好きだったよ」

         今更そんなこと言うの? どうせなら、もっと早く言って欲しかったわ。いや、君はそう言うけど、いったい僕のどこが不満なの?

         ところで、あなたは憶えているかしら。私たちが初めて会った時のこと。どうしてそんなこというのさ。忘れるはずがないじゃないか。そうよね、あの時、私は王子様が現れたと思ったのよ。有り得ないくらい劇的な出会いだと思ったの。

         「僕だってそう思ったよ。ねえ、僕の何が不満になったの?」
         「そんなことをあからさまに訊くようになった、あなたに不満なの」
         「答えになってないよ。そんな言い方ずるい」

         あらあら、困ったちゃんねという表情で彼女は僕を見つめ微笑んでいる。その笑顔に僕は惚れたのになあ。成程、空は青い。僕も君もまだ若い。

         空がこんなに青いなら、きっと、君も気持ちよく生きていけるよね。青い空を飲みこんで、君の未来を祝福するよ。
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        再会
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           パーティ会場は人で溢れていた。たばこの煙で会場は白く煙っている。この業界は相変わらずヘビースモーカーが多いようである。
           かつてはヒット作を連発していた作家があるときから書けなくなり、15年ぶりに書下ろしを発表した。その記念パーティだから、どうでもいい人間が集まっている。出版社としては宣伝になればなんでもよいのだろう、ここぞとばかり出版業界にうごめくひとびとが集まっている。
           不自然にならないように視線を走らせていると、突然話しかけられた。

           「よう、久しぶりだな」
           なるほど、お祭り好きのやつなら当然きてると思うべきだった。舌打ちしたい気分を抑え向き直った。
           「お前はどこにでも現れるな」
           「久しぶりだというのに、ご挨拶だな。お前がこんなパーティに顔を出してるなんて驚いたぞ」
           木村は悪いやつじゃないが、デリカシーに欠ける。というのが大学生の頃知り合って以来の俺の評価だ。今は有名週刊誌のデスクにまでなっている。あまりぱっとしない編集者の俺よりは社会的な評価ははるかに上だ。
           「俺だって只酒は好きなんだよ。知ってるだろ」
           「まあな、大学の頃はふたりで飲みまくったからな」
           木村はあくまで屈託がない。しかし、こういう現れ方をするときは腹に何かいちもつ持っているんじゃないかと疑ってしまう。昔からそういうやつだった。
           警戒感がなくなった頃に唐突に木村が言った。
           「おい、あの女知ってるか?」
           水割りのグラスを持ちながら木村が器用に指差す方向を見て、俺は動揺した。美樹が昔と変わらぬ容姿で誰かと談笑していた。さっきから探していたというのに、なぜ気付かなかったのだろう。
           「おい、お前も業界の人間なんだから、知ってるだろ?」
           木村はいぶかしげに聞いてくる。
           「ああ、女性誌かなんかの編集長だろ?」こうこたえるのがやっとだった。
           「いい女だよな」
           「お前はそんな話しかしないな」
           「そういうな、ちょっとしたネタを教えてやりたくてな」
           俺は嫌な予感がした。ふたりのことは誰にも分からないように気をつけていた。特に木村のような男に知られるのを恐れていた。ふたりの間が終わった後も、誰にも知られていない自信があった。
           「あの女な、とんでもない淫乱だぞ」
           「何?」
           「なんでお前がそんな怖い顔をする?」
           木村はあくまで無神経なそぶりをしている。俺と美樹の仲を知っているのかどうか、俺にはよく分からない。
           「どういうことだ?」
           「あの女はな、男に言い寄られたら絶対に断らない」
           「どういうことだ。はっきり言え」
           「お前も知ってるだろ、フランスの女編集者」
           「ああ」俺の嫌な予感は当たったようだ。
           「あれといっしょでな、とにかく言い寄る男にノーと言えないらしい」
           「・・・」木村は好色な表情でまた口を開いた。
           「噂はなんとなく耳にしてたんだ。ただ、どうしても信じられなくてな、それで思い切って誘ってみたらな……」
           木村に最後まではしゃべらせなかった。突然殴られた木村は目を大きく見開いている。周りにいた客は、何が起こったのか分からず、不審げなまなざしで俺を見ている。
           俺はまっすぐに美樹に向かって歩き始めた。
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